Closer
- 疑惑の恋人 -

20061103

5.


  十年前、神戸で起きた事件が発端だった。
  高瀬修子の父親が経営するフレンチレストラン「らぱん」で一人の男が殺された。死因は撲殺。殺された男の身元は地元の暴力団の構成員で、何かと高瀬親子に執拗に言い寄っていたという。
  店を切り盛りしていたのはオーナーシェフである父親と兄、そして 美人と評判だった母親と修子だった。
  修子と母親には熱心な常連客がついており、そのうちの一人が修子に対して執拗なまでのストーキング行為働き、エスカレートしていった挙句の果てに、店に対して嫌がらせを働いていた暴力団員の男を殺害し、遺体をプレゼントとしてリボンで首を括って置いて行った。
  ストーカーに殺人を依頼したという噂を立てられ、営業の出来なくなった店には殺された男が属していた組からの様々な嫌がらせが増えた。
  後に逮捕されたストーカー男は誇らしげに修子へのプレゼントだった。と笑っていたらしい。
  組関係からの執拗な嫌がらせにノイローゼになった母親は、言い寄っていた組関係者のの腹に包丁をつきたて、自ら命を絶ち、その後、高瀬一家は神戸を離れ、県外で静かに暮らしていたが、父親も母親の死後一年ほどしてから病に倒れ帰らぬ人となった。大切な家族を奪われた恨みと悲しみは大きく、残された家族の二人は静かにじっくりと復讐の機会を待っていたらしく、五年前に母親の旧姓に変えた高瀬修子はひそかに街に戻り、じっくりと計画を練った。
  修子にストーキングを働いていた男収監された精神病院で、面会にきたという高瀬広和という男に毒を飲まされ殺害された。
  高瀬広和は沢海修子の兄だった。
  沢海修子と高瀬広和は連れ子再婚の義兄弟で、血が繋がっていなかった兄妹は家族愛以上に心通わせ、失った家族と自分たちの未来のために復讐を誓い実行した。
  たまたま事件現場近くに別の事件で居合わせた火村と柳井警部は駆けつけ、その場で沢海修子の兄、高瀬広和を犯人と突き止め、高瀬広和はその場で毒を飲み自殺した。
 

「平たく言えば火村によって追い詰められて、道が無くなったということか」
  一通り話を聞いて一人の女性の壮絶な人生に同情せずにはいられなかったが、至極冷静沈着な女子大生、朱美ちゃんはあっさりと「逆恨みって言いませんか?」と幾分苛ただし気に言い捨てた。
「彼女は最愛の兄を火村先生に殺されたと考えていたのですね」
「取り残された修子はどうにかして、思い込まないと生きていけなかったんやろうな」
「おそらく、何らかの情報で火村先生がフィールドワークとして様々な捜査に加わっていることを知っていたでしょうね」
  何かに縋らないと生きていけなかったのではないだろうか。
  火村の所為で「最愛の兄が死んだ」と思い込みたかったのではないだろうか。
  警部はぺらぺらと調書であろうファイルのページをめくりながら、刺殺された男についても教えてくれた。
「それから、宇津木健一ですが、五年前に自殺した高瀬広和の親友でした。すぐに調べれば済むことでしたが。これは我々警察の落ち度でした。すぐに調べていれば、判っていれば…と思っていますよ」
  火村の身柄確保に関して申し訳なさそうに胸に手を当てる警部。
「宇津木健一は自分の死期を悟って沢海修子に協力したということですか」
  残り少ない命を親友の妹、そして恋人のために捧げた。
「では宇津木健一は殺されたのではなく、殺されたように見えるように自殺したんですか」
「ええ、現時点ではそう考えています」
「だったら火村は釈放されるんやないですか」
「警察上層部には火村先生のことを良しとしない面々がそろっていまして、それこそ、私情をはさんでいるとしか言いようがないのですが、決定的な証拠をつかまない事にはなんとも出来ない状況でしてな、いや、お恥ずかしい」
「ああ、なるほど。いろいろとあるんですね」
「ええ、いろいろと。力関係が…」歯切れの悪い警部の口調に朱美ちゃんは「大人の正解ですね」と小さく笑った。
「動かぬ証拠というのは重要参考人である沢海修子ですね」
「ええ、彼女が事件の鍵を握っていますからね。しかし、彼女の身柄を保護しなければいけないのですが、依然、消息不明です」
  警部の少し落胆した表情と言葉に不吉な予感が私の頭を過ぎった。 
「まさか、自殺…」
  独り言のつもりが声に出していたらしく、私の言葉に警部が相槌を打った。
「そうなんです。ありえないことではありません。沢海修子には残されたものは何もありませんからね。家族、恋人」
「捜査して判明したのですが、沢海修子の実の父親というのは二十五年前におきた殺人事件の犯人でした」
「殺人事件?」
「ええ、有栖川さんでなくても事件名を言えば誰もが思い出す事件ですよ」
「二十五年前」
  もったいぶった言い方をするところを見るとかなり有名な事件だったらしい。
「岡山放火殺人事件ですよ」
  ありがちな事件名ですがね。と付け加えた。
「5人の男を殺したというあの事件ですか」
  岡山という稀代の推理小説家が好んで舞台にした土地で起こった凄惨な殺人事件だった。その事件の関係者が沢海修子とその母親だった。
「沢海修子の母親、香苗は相当な美人でしてな、生まれた村では一番の美人と歌われていたそうです。そして、村の男と結婚したんですが、その男、木山祥吾というのですが、またすごい独占欲の持ち主だったようです」
「で、香苗さんに言い寄った男たちを惨殺ですか?」
「ええ、まあ、ありていに言えばそうですが、木山香苗さんは自宅近くの小屋に連れ込まれ五人の男たちに暴行を受けていたのですよ」
  益々もって某大物小説家の推理小説のようだ。
「ものすごく愛してたんでしょうね」
「で現場を押さえた木山祥吾が怒りに任せて小屋に置いてあった鈍器で5人を殴り殺しということですか」
  男が暴行された妻のためにした復讐は激情に任せて引き起こした事とは言え、凄惨過ぎる状況だったに違いない。
「正確には昏睡させて放火です。木山は逮捕されたときには心神喪失状態でしたが、それ以上に香苗の方が大変でした。暴行された挙句に目の前で夫が人を殺しているのですから」
  焼け跡から発見された五体の死体はすべて頭蓋骨を割られていて、ほぼ即死の状態で焼かれたという。
「でも、その後、木山籍から抜けて、高瀬さんと結婚されるのですよね」
「ええ、そうです。木山は裁判では禁固刑になりましたよ。ですが、その後、精神に異常をきたし、精神病棟で一生を終えましたよ。死亡したのは事件から8年過ぎた頃です」
  事実は小説より奇なりという言葉がしっくりくる事件である。
「因縁を感じます」朱美ちゃんぶるっとは身震いをし、自分の体を自分で抱きしめていた。
「宿業やね。沢海修子の背負っているものは重たかった」
「ええ、修子に付きまとっていたストーカー、5年前に殺された男ですが、実の父親のことで強請りをしていたようです」
「そらまあ、耐えられへん」
  家族全員が非業の死を遂げているという事実は、残された人間にはつらい事実である。
「香苗によって刺された構成員の男も同じようなことをしていたようです」
  えも言われぬ重たい空気になったところに柳井警部の部下の一人が走り寄ってきた。
「警部!沢海修子が発見されました!」

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