Deseo matarle, porque te amo mucho
殺したいほど愛してる。

鏡越しの恋人


1.

 
 読経響き渡るホールに黄色や白い菊の花、白い百合の花。そして祭壇中央部ではモノクロ写真のアホ面が掲げられている。
 厳かな雰囲気の中、個人を偲び、悲しみを演出する中でアホ面がで暢気に笑っている。
 涙する両親の前でなんともいえないアホ面で笑っているのだ。
 なんともそぐわない。
 おそらくあの写真は母親が出してきたのだろう。
 もう少しマシな写真があるはずなのに、例えば、著者近影とか。
 まあ、それはともかく。
 私は今、空気の存在となってしまったのだ。
 表現を変えれば、『お空の星』になってしまったと言ってもいいのだろう。
 そこら辺に私の姿が見える人間が居るとすれば、足元が透けて見え、もしくは全身が半透明な空気のような物になっているのだ。
 参列している人の波を掻き分ける必要もなく、通り抜けて行く身体(幽体)は無重力空間に居る様である。


 
「逝ってしまわれたんですね、なんか、信じられませんよ…」
 カメラのフラッシュが瞬き、読経が響き渡るで、弔問客の後ろのほうに並んでいる大阪府警の張り切りボーイが同警察署の上司である鮫山のとなりで悔しそうに呟いている。いつものトレードマークでもあるアルマーニに黒い腕章。
「せやな、なんや、ひょっこりと捜査現場にあらわれそうな…かんじやな」冷たい印象を与えるメタルフレームの眼鏡に鋭い顔した鮫山さんは苦虫を噛み潰したような表情で「少々言葉が悪いかもしれへんが、これは『弔い合戦』や」祭壇の中央で花に囲まれてアホ面でのんきに笑っている私に言った。
 祭壇前中央部では喪主である私の父が参列者にお礼の言葉を述べている。生前最後に会ったときよりも十何歳も老け、尚且つ小さくなったように見える。父のとなりでは派手好きで年より若く見えると言うのが自慢の母も化粧気がなく白髪が増えていて、やはり何歳も年を取ったように見えた。
 無理もないか、自分たちよりも息子のほうが先に逝っているのだから。それも、病死と違い何の前触れもなくある日突然に死んだのだ。それも、息子が作り出すフィクションの世界と同じように殺人事件の渦中の人間として、現場に残された証拠の一つとして。
 両親のとなりに母よりも頭1つ分飛び出た黒づくめの男が立っていた。まるでマフィアの用心棒のようである。
 火村だ。
 足を肩幅に広げ、時折天井を見上げているのは、涙を堪えているのだろうか…
 私の両親の計らいにより、家族席に参列し、当の本人は少しやつれてはいるが、変わりがないように見える。
 私の両親、親戚筋以外の弔問客の中に生前世話になった私のほぼ専属担当であったと言ってもいいかもしれない片桐さん、先輩でありながら私を事のほか弟のように可愛がってくれた朝井さん、火村の下宿のばあちゃん、篠宮時絵さん私のマンションのお隣りさんである真野さん、火村の大学の教え子である貴島朱美ちゃん、火村のフィールドワークでお世話になった大阪府警の船曳警部、鮫山警部補、森下さん、京都府警の柳井さん、兵庫県警の樺田警部、野上さんなどなど、極普通の推理小説作家には関係のないような面々が揃っている。
 普通の病死や事故死ならばこんな豪華な面子は揃わないはず。
 その上、芸能人の葬式かって言うぐらいに集まった報道陣。
 普段ならば名前も載るはずのない写真週刊誌や書いた事もない出版社からの弔電やら、香典やらが並んでいた。その上、出版者のパーティでしかお目にかかったことのない大物作家や人にセクハラ紛いのことをした大物作家が、当然のように私を「可愛がった」「惜しい人材を亡くした」と言う。
 人の葬式に来てまで顔を売ろうとする根性には呆れながらも、この根性がないと大成しないんだなと思う。っつーか、私が死んでいるから言える事だけど、こいつら、面白ないもん。落ち目やもん。そうでもしな顔を繋いどかれへんのやろう。
 それはともかく、とにかくそう有名でもないのにもかかわらず、タブロイド紙の一面を飾り、生前私が欲しいと思っていた称号が与えられるのと同時に、全国紙に至っては4コマ漫画の下に顔写真付き(著者近影の写真使用)で掲載された。

 ショッキングな見出しとともに。

 「浪花のエラリー・クイン、自宅にて惨殺」

 そう、私は何者かに殺されたのだ。


 火村が駆けつけてくれた時には私の意識は既に体を離れていた。
 足元に血まみれで横たわる自分の屍を眺めていると、火村が汚れるのも構わずに、力なく横たわる私を抱き起こしてくれた。
 必死の形相で私の手を握り押し殺した声で「いくな」と何度も叫び、訴えていたが、とうの私はすでに自分の体を離れて、尚且つ現場にいたのだ。
 火村の声に何度も何度も自分の体に戻ろうとするが、感触もなく通り抜けるだけで、戻ることは出来ず、宙に浮かんでいる私は火村のクビを締めたりしながら「俺はここにいるんや!ここに!」と火村の背中を叩いても叫んでも手ごたえがなく、血だらけの私の体を抱きしめる火村には私の意識がここにあることを伝えられなかったのだ。
 そして、現に傍らに存在する恋人の魂を感じる事も出来ない男の肩の上に居座っていると言うのに…
 こともあろうか、こいつは神妙な顔つきでさっきからやたらと肩を払っている。
 しかし、思ったよりも焦燥はしていないようで、何となくむかつきながらもほっとしている。
 私という存在が彼の妨げにはなってはいけないのだと思っているからだ。
 私という人間が居なくなることで壊れるような男であって欲しくないからだ。
  だが、人と言うのは勝手なもので、自分を思うあまりに壊れて欲しくないと思いつつも、心の深い部分では自分の存在を知らしめたいと思うのだ。
 そんな事はさておき。
 私が殺された現場は自宅のリビングである。フローリングの床にうつ伏せで倒れていたのだ。
 そして、犯人は私を強烈なまでの思念を持って私を殴り殺したのだ。
 犯人の心当たりはある。だが、「名前を知っている」でも、「姿を見た」でもない。
 
 とどのつまりは殺された前後の記憶がない。

 情けないことである。

 時折犯人らしき人間の、そのどす黒い重い気配を感じる事があり、奴の思念にひぱられ層になるが、ここにいる男のおかげで、こいつの私を思っていてくれる気持ちが私を犯人と思しき人間の残留思念に引き摺られていくの防いでくれている。私と言う魂の存在を消滅させることなく、この現世に繋ぎとめていてくれている。

 では、なぜ私が殺されたか。

 これは私が殺される以前の問題ではあるのだが、時をさかのぼること半年ほど前になるが、強烈と言うか、執拗なストーキング行為をされていたことが事の発端。
 火村に相談をし、自宅にいるときは鍵を掛け。尚且つチェーンを施すように言われ、そのようにしていた。自治会の回覧なども、失礼ながらにチェーン越しにやり取りをさせてもらっていた。と言うのは、少なからずも天王寺界隈も都会の端くれ大都会ほど人情は廃れているわけではないが、さほど大きくない私の住んでいるマンションも近所付き合いというものがあまりなく、見知っているご近所さんはとなりの真野さんや階下の新婚ご夫婦と、管理人さんと、新しく入居してきた大学生ぐらいである。その上、今時のマンションにしてはオートロックもなく、せいぜい入り口にある管理人室ぐらい。
 そんな訳で、名前はおろか、顔すら知らない人も住んでいるこのマンション、自己防衛はきちんとしておかなければならなかったのだ。
 で、ストーキング。
 片桐さんの話によるとかなり前からファンレターの中に何通か異様な異物を送りつけて来たものがあったという。作家の精神衛生上、余りにも酷い誹謗中傷やかみそり付等を渡してはいけないということで、編集部であらかた目を通すのだが、その時に見つかったと言うのだ。
 明らかに体毛と思われるものを添付されていたり(汚な!)、真っ赤なインクで私の名前だけを書いてあったり、便箋一面にびっしりと書き込まれた「呪」や、「ホモキモイ!」など、それ以上に壮絶なものがあったのだが、いざふたを開けてみると全て同一人物によるものらしいと言う事が解かったそうだ。巧妙に消印などずらされているが、筆跡や筆致が約80パーセントの確立で同一人物だと判明されていた。
 捜査は個人的な怨恨の線で行われているらしいが、人に後ろ指刺されるような関係はあっても(特に火村のこととか?)、しかし、殺されなくてはならない理由は自分でも見当たらないのだ。
 まあ、特殊な人間関係が嫌だという人は私を避ければいいわけだし、関係を切り替えればいいのだ。件のファンレターの件から、怨恨と言うよりかは、過激なストーキング行為ではないかと火村が示したのだ。私に対して何らかの感情を抱き、誇大妄想気味では無いかと考えた。
 かねてより頻繁にかかってくる無言電話。
 出版社の編集部のみならず、どこをどう調べたのか、自宅に直に投函された不気味な手紙。
 偽モノだとは解かっているが、ゴッホを真似た精密な蝋細工の切り取った片耳。
 注文した覚えのない店屋物。(鰻で有名な某料理屋の特上うな重10人前、合計云万円!(んなもん払えるかい!)とか、ピザの配達とか)
 挙句はマンションの部屋の扉のスプレーの落書き。
 そして私は我慢ならずに被害届を出したのだ。
 毎日交代で様子を見に来てくれていた森下さん、鮫山さん。
 時間が許す限り一緒にいてくれた火村。
 辛かったけど、何か幸せだった。
 
 私の直接の死因は、頭蓋骨陥没骨折、出血多量の失血死。
 凶器はレリックの灰皿(おかんからのもらい物おそらくどこぞの引き出物、約1sの代物)。
 
 先日の通夜の時、私の両親の前で土下座して詫びたあいつは、最後まで付き添いたいと、私の遺体の傍にいてくれた。
 押し殺すあいつの嗚咽に私は何度も火村の背中を叩いたが、手ごたえを感じず、縋って泣くしかなかった。
 
 どうすれば火村に伝わるのか。
 
 火村はひたすら私に詫びていた。
 どうしてもっと俺の傍にいてやれなかったのだろうと、どうしてもっと早く帰宅できなかったのだろうと。
 私が死んだのは、殺されたのは自分の所為だと責める火村に私はなすすべもなく、傍らに居ながら、声1つ掛けてやれない。ただひたすら祈るように、「火村の所為やない」と唱え続けた。
 
 私が殺害された時、リビングには口の付けられていない客用のティーカップ&ソーサー。
 火村が来る予定だったからだ。
 台所には湯を沸かす寸前のやかんと、ティーポットの用意。
 お気に入りの芳醇なベルガモットの香りのアールグレイ。
 火村お気に入りのロンドン土産のウェッジウッドのフローレンティンターコイズ。
 おそらく見知った顔が私の部屋を訊ねてきたのだ。
 あのカップを出す客は…ついこの間珍しく紅茶が飲みたいという火村に使った。
 朝井さんもお気に入りだとかであのカップを指名する。
 おかんもアレが好きみたいだ。
 だけど、朝井さんもおかんも俺に殺意を抱くか?
 あるかも知れん。普段の行いが行いだけに…おかんに関しては日本一親不孝をしている息子やからなあ。恨まれてるかもしれない。
 

 現場検証が終り、リビングの私が横たわっていた場所を見下ろすように火村が立ち尽くしていた。
 フローリングの床には落ちきれなかった私の血。
 証拠品となるお気に入りのカップ&ソーサーとレリックの灰皿は押収されている。残っているのは指紋採取のアルミパウダーの後。 チョークで書かれた私の人型。

「すまん」

 火村が呟く。
 両手拳で目を押さえ、力なく座り込む。
 声を押し殺し、通夜の時と同じように何度も何度も私に謝罪をする。
「お前を守りきれなかった...すまない...」
 だけど、許してくれとは言わない。
 
『君は俺が死んだ事を背負って生きて行くんやな』
 私が死んだのは、殺されたのは気の所為ではないのに…
 私が一番避けたかった火村の枷となってしまった。
 火村は爪が食い込み血が流れるまで拳に力を入れ、「アリス、俺が犯人を割出してやる。見つけ出して…」と、私の書斎兼寝室を見つめた。
 
 見つけ出して…どうするというのだ…火村…
 
 犯人が見つかっても私が火村の元に戻れる事はありえないのだ。
 このまま傍にいつづけても、超現実的人間である火村は気づいてくれる事もなく、背後霊のまま、存在を知られないままに居続けなければいけないのだ。
 恋人の苦悩を目の当たりして、何も出来ないもどかしさ。
 募るのは想いばかり。

 私がドタマぱっくりかち割られて死んでから丸9日、初七日も終わり、火村も一旦は京都の下宿に戻らなければならないらしく、名残惜しそうに、私の部屋を眺めている。
 聞けば、火村はこの部屋を購入したらしい。
 まあ、管理人や、不動産業者の人にすれば助かったものである。それも殺人事件のあった部屋、どう隠しても噂はついて回るのだ。
 例えば、私が化けて出てくるとか。これはマジで。幽霊本人が言ってるのだから間違いなくオプションで憑いてくる。
 しかし、火村が購入したという事は非常に嬉しい事だが、とても後ろ向きな感じがしてならない。
 
 私も京都に付いていこうと思い、火村の肩に跨った。ちょうど肩車のように。
 荷物を持ち、靴を履き、立ち上がったところで火村が凍りついたように動かなくなった。
 その顔には驚愕の表情。

「どうした?」私が火村を覗き込むと今度は耳を塞いだ。

「なんだ?」


「お、お、お、お・・・おまえ!」と、さして広くもない玄関で尻餅をつき、素っ頓狂な声を発して玄関の壁に掛けてある鏡に向かって指をさした。
「なななな、なんや!」
 もしかして!と振り返ると私が鏡に映っていた。
 しかもスケスケで。(あ、ちゃんと服はきとるよ。すっぽんぽんやないで残念やけどな)
「見えてるんか!」
 火村の襟ぐりをつかもうとするが、手ごたえ感じる事もなく、スカッと空気をつかむ。
「ア、ア、ア、ア、ア、アリスッ!」驚きのあまりに顎が外れそうなほどに口をぱっくりとあいている。
 いままで見た事もない慌てふためいた火村。長年の付き合いでも滅多にお目にかかれないというか、初めての表情だった。
「驚いた?」
 俺は火村の顔を覗き込むが、その視線は私を通り抜けて背後の鏡に向かっていた。
「お前!アリス!ドタマかち割られてくたばったんじゃないのか!」と、指をさす。
「なんやねん!その言い草は!寂しく俺のことを夢に見ながら泣き続ける君を不憫に思うてなあ、化けて出て来たったわ」
 泣きまねをして見せる。
 が、嬉しさのあまりに本当に涙が出てきた。
 呆然とする火村の前で「なあ、なあ、俺の姿見えてる?声聞こえてる?」と手を振ってみる。
「見えてるし聞こえてる。が、どうやら鏡越しじゃないと見えないし聞こえない」とさっきの慌てふためく男の言葉とは思えないすかした返事が返ってきた。
 通りで、視線が目を通り過ぎるわけだ。
「見えても鏡越し・・・」火村の溜息のような呟きが聞こえた。
「目もあわせることも出来へん…」私の呟きも零れる。
 実体のない私は火村に触れる事も出来ない。
「なぁ、手鏡持ってきてくれへんか?」
 鏡越しというのであれば、手鏡でも構わないはずで、そこに映る俺と話すことができれば、捜査に参加できるかもと考えた。
「俺にとり憑く気か?」
 呆気に取られた火村の態勢は至極面白い。ホールドアップと言わんばかりに両手を揚げ、長い足を折り曲げ大股を広げている。実に間抜けだ。
 そんな火村に向かい、腰に手を置いた私は得意げに「そうや」と笑ってやった。

 


 

to be continued...

 

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