Alice side story of Brightness & Darkness
Missing you so much and I wanna hear your voice,
I wanna hold you, I wanna kiss you,


 締め切り明け、外界は昼間の燦燦と太陽が照る中、遮光カーテンを閉めエアコンを効かせた部屋で、今から寝るぞっと布団に入ろうとしたところに、電話が鳴った。
 10年来の親友?!からだった。
『よう、仕事は終わったのか』遠い声が聞こえてくる。
久しぶりの火村の声。聞きたかった声だ。
「ああ…君も大概失礼なやっちゃな…名前ぐらい言わなあかんで」
 いつも私が彼に電話をかけるときには名乗らなかったから、「どちらの俺やさんですか」と突っ込まれていた。
 火村からの連絡が途絶えてから、かれこれ3ヶ月近くになる。
 大学に連絡したら、2ヵ月ほどの海外研修に派遣されたという、火村が発ったのを知ったのは、火村が渡米して2週間も過ぎた頃。
 連絡を取ろうとしなかった最初の1ヶ月。
 迷いに迷った挙句、大学から教えてもらった連絡先に電話し、失敗した2ヶ月。
 そして、諦めていた最近。
「えらいご無沙汰やなぁ、言い訳でもしてくれるんか」
『お前、それ嫌味か』
 電話の向こうの声は少し疲れていた。
「よくお解かりで」
『悪かったよ、あの時は…』言葉を濁す。
『怒ってんだろ、俺が何も言わずに来たのを』電話の声には自重の響きが含まれていた。
「ふん」
『悪かったよ。でも、おまえも忙しそうだったしな、連絡しようとしたんだけどな』
 確かに、私も、火村に電話をしていなかった。
「けどなって、なんやねん」
 連載を抱えて、月2本のエッセイとその他のイレギュラーな仕事を抱えて、この一月間は火村のことを頭から追い出していた。そして、2ヶ月前のあの日以来、火村からの言い訳の言葉を待っていた。
大学から教えてもらった連絡先に電話しても、繋がらなくて、研修先に連絡してもつかまらなくて…語学の不自由な私は、便りがないの元気な証拠、無事な証拠。と思って諦めた。
『電話をしたんだが、おまえは留守だったし、携帯電話も切ってる様だったからな』
「そんなん、いつものことやろ、『連絡つかない』って、いつも怒鳴り込みに来てたやないか…」
『まあ、いつものことだからな。仕事の邪魔しちゃ悪いなと…かんがえたんだよ』
 苦笑い。
「君らしいないで、そんな殊勝なのは…」
 一抹の不安が蘇る。閉じ込めていた殻が破けていく。
 何時も私の心にある不安。
ことばがほしい。約束が欲しい。
『土産をと思ってな…』
 何も言わずに出発したことを気に病んでいるのか、言葉が詰まっている。歯切れが悪い。
「で、いつ帰ってくるんや?」
『わからん』短い言葉が返ってきた。
「わからんのに土産の希望をきくんか」
『買ってきたものに文句言われるのも嫌だしな』
 普段のポーカーフェイスが、眉間に皺寄せて苦虫を噛み潰したような苦悶の表情の火村の顔が浮かぶ。困ったような表情。
 伊達に10年つきおうとるわけやないで。
 火村、ほんまは帰って来たくないんやないんか……だから、あれが最後やったんやろ?優しい君の事や、俺が仕事しとるか、生きているか確かめるだけに電話をしてきたんやないのか?
「まっまあ、ええわ。犯罪学者にとって身のある研修なんか?」
『まあな。日本じゃ経験できないようなことも含めてな』
 なにか、俺に言いたい事があるんやろう?
「何時帰国するんか判れへんのやろ、大学に聞いたら2ヶ月ほどや言うてたで」
 何かあるんやろ、言いたい事が。私にとって聞きたくない言葉が…
『ああ、当初はな…』歯切れの悪い答え。
「なんや?なんかあったんか?」
『………』無言。
 なら、俺から言ったほうがいいのか?
『アリス』
 さっきからじれったい。はやく、一思いに斬ってくれ。じゃないと、平静ではいられなくなる。
「なんか言いたい事があるんやろ、早せぇ、国際電話や、もったいないやないか」
『あの時は、すまん』
 ツーツー……
 唐突にラインが切れる。
「やっぱりな…おまえも考えてたんやな」ため息とともに受話器を置く。
 不毛な関係。
 年を取れば取るほどにのしかかってくる現実は重くて、将来を嘱望されている有能な講師には枷にしかならない。
「昔も今も俺は重りか…」
 多分あの電話は火村は火村なりにピリオドを打とうとしたんや。
 無理矢理に、俺を抱いて、むちゃくちゃにして。
 本当は2ヶ月前にピリオドは打たれるはずやったんや。
 そう、研修は2か月、だけど、火村には客員講師の話が来ていた。
 アメリカの大学から。
 たまたま私の電話を取った火村の担当教授が教えてくれた。
 研修期間2ヶ月が終わった今でも帰ってこないということは、承諾したということだ。
「俺はしがない文章書き。火村は新進気鋭の学者やもんなぁ…これからって言うときに俺みたいなんがくっついとったら、あかんわなぁ…、ましてや、人目をはばかる…関係やったらなあ…」
 壁にもたれたまま座り込む。
 いつかは言われるだろうと、覚悟はしていた。していたつもりだった。
「ふ…ふふ……」 
 涙が出てくる。
 両手で顔を抑える。握り締めた拳で両目を抑える。
 出会って10年、親友という垣根を越えたのが3年前。
 身体を繋げ、お互いを温め合うようになった。
 誰よりも大切な存在。
だけど、言葉をくれない。約束もない。
 あの時に火村に投げつけた言葉が自分の中で木霊する。
「もうええ!!もう知らん!!もう、許さへんからな!!」と、火村を殴りつけ、火村の下宿を後にした。
 そして、後から気づいたことだけども、火村は次の日、日本を出発した。
 
 
 
トゥルルルル…トゥルルルル…トゥルルルル…



「はい有栖川です」鼻を啜りながら電話に出る。
『早とちりすんな』溜息とともに聞こえてくる火村の遠い声。
「ひ、火村?」
 また溜息が聞こえてくる。
『また一人でろくなこと考えてんじゃないだろうな』
 掠れ気味のバリトンが聞こえてくる。
 火村の声だ。火村の…
「何で…」涙が出てくる。
『…ったく、多分、大学でおしゃべりな教授にでも聞いたんだろうが、その話は断ってるんだ。すぐに帰れないのは、こっちでちょっとした事件に巻き込まれてな…やっぱり、おまえには隠せないな…』
 くく…と笑う。
「なぁ巻き込まれたって、大丈夫なんか?どんな事件に巻き込まれたんや!」
 受話器を握り締める。
『大丈夫だ、だからこうしておまえに電話してるし、それにだ、事件の概要は電話じゃ伝えられねぇよ』
 トーンを下げた優しいバリトンが耳をくすぐる。
「ふ…ふう…犯罪学者が事件概略をよう説明でけへんのか」ぼろぼろと涙がこぼれる。
『ないてんのか?』
「泣いとらんっ」
『必ず帰るが、まだ解決してないんだよ、だから、土産話を期待してろ』
「帰ってくんねんな?俺、俺、何回も電話したんや…おまえが下宿してるって言う家にも電話した。伝言もした…」
 ああ、女々しい。泣いてないと言っておきながら涙と鼻水が滝のように落ちてくる。
『知ってる。聞いたよ、笑わせてもらったよ』火村の鳩の鳴くような笑い声が聞こえてくる。
「笑うことないやろ、俺かて無い英語能力引き出してきてんからな」
『だから、悪かったって、今まででもあったじゃねえか、二月や三月会わなかったことぐらい』普段は冷たく聞こえる火村のバリトンが優しく私の耳に届いてくる。
「そうやな。言われてみればそうやな」近くにあったティッシュで鼻をかんだ。
『いい機会だからこの際、休職願いを出して事件解決までこっちにいようと思ってな、そんなに長い期間じゃねぇよ』
 (俺から逃げようとしてるんやなかったんやな…)と私は安堵する。
『電話する。毎日とはいかないが電話する。事件が解決するまで』
「ほんまやな、嘘やったらばあちゃんに頼んで、おまえの部屋のもん全部ほり出しといてもらうからな」真意の見えない電話越しの火村の声。私は虚勢を張るしかないのだ。
『それは困る。俺の帰るところがなくなる』
 火村の帰るところは私のところではないと……聞こえる。
「俺のところやないのか?」
『おまえがいる部屋が俺の帰れるところだ』相変わらず意地が悪い。
「え?」
『待っていてくれるんだろう?あの部屋で』
 おまえ、ずるすぎる。何時帰ってくるかもわからない奴を待ってろというのか。
『手始めに、掃除しといてくれよな。猫たちの様子見もかねてな、それと、ばあちゃんに頼みっぱなしじゃ、悪いからな。それに、よろしくと伝えてくれ』
 ずるい。
「いつ帰ってくるかもわからん奴を待っとらなあかんのか?」
 このぐらいの応酬は構わないだろう?
『そうだ』
 短すぎる一言。
「さいてーなやっちゃな」
『今更』
 今更やな、確かに。人のことを考えない奴だとはわかっていたが。
「しらん。おまえみたいな勝手な奴はしらん」
『つれないこと言うなよ』からかい口調がますます私の癇に障る。
「もうしらん。おまえなんかしらんっ!もう帰ってくんな。一生そこに居れっ!」
『アリス』
「もう、きるでっ!」
『アリ………る』
 プツ。ツーツーツー…
 

 電話を切ってからも耳に残る火村の声。
最後の言葉が耳から離れない。低く、かすれて聞こえずらい声ではあったけど、欲しかった言葉。
涙が止まらない。嬉しくて。でも、寂しくて。
そして、欲しかった言葉とともに欲しかった約束。
「ふ…俺のところに帰ってきてくれんねんな……」
 私は何時からこんな女々しくなったんだろうか。
 顔を洗いに洗面所に行く。
 鏡に映る自分の顔を見る。
「なさけな。エエ年こいた男が何でこないに泣かなぁかんねん」
 気合のために頬を叩く。

ぱんぱん。

 さあ、将来有望な先生のお部屋掃除に出かけようか。

 

 

 


この話は某サイトさんにお嫁入りしたものに加筆訂正をしました。
まだまだ納得いかない感じが拭えないのですが、少し若めの助教授と作家の話です。
このあと、助教授じゃなくて、この話の時点では、まだ講師です。火村センセ。

 

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