なんてことはない話 6

Pessimnistic Optmist & Optimistic Pessimist

20020510


 

 さっきから何回目の溜息だろうか。
 自分では数える気にもならないが、とにかく溜息しか出てこない。
 締め切りも無事に乗り切り、やっと自由の身になったにもかかわらず、私はと言えば電話とにらめっこをしている。
普段の締め切り明けのテンションなら即電話を掛けている筈なのだが、今回に限っては、思うように手が出ない。
単に短縮キーを押すだけいいのだ。簡単な事ではないか。

『#1』

押そうと手を出すが溜息が出てきて、すぐに手が引っ込めてしまう。受話器を握り締めたまま、溜息混じりにぶつぶつと一晩かけて考えた台詞を繰り返す。
私が火村との連絡を躊躇う理由もはっきりしているのだ。ささいな疑問とともに私の頭の片隅に、いや今の溜息の大部分を占めているのは、昨日のことだ。
以前から気付いていた事ではあった。
ジャケットを脱ぐたびに時折鼻をくすぐる爽やかなフローラルの香り。
整理整頓の行き届いた研究室に微かな花の香り。
いくら鈍感な私とて気付かない筈がないほどに、火村から感じられるほかの人の気配。
何もない顔をしている火村に聞こうともしたが、普段となんら変わらない火村に問い掛ける機会を逃した。雑然とした研究室が、こざっぱりと整頓され、きちんと消臭されタバコの匂いの少ない部屋で火村は私をいつものように抱いた。
いつもの言葉で。
拒絶しようにも火村に抱きすくめられ、甘い口付けに私は逆らうことが出来なくなってしまったのだ。
抱かれている間は火村の事を信じようとした。だけど、それから2週間、私の締め切りが迫り、会うもままならなくなり、だんと私の思考はネガティブになってしまった。
そう、『騙されていていてもいい』と思うまでにネガティブな思考に陥っていたのだが、現実を目の当たりにすると、そんなことは裏を返して『嫉妬』に変わってしまった。
『騙されていてもいい』そう思っていたはずなのに、ずっと、同性同士のこんな関係は異常だと思っていたのだ。思っていたのだ。だから、愚かなことに私自身火村との関係は何時でも清算出来ると考えていたのだ。
昨日の夕方、編集者と次回作の打ち合わせと原稿の引渡しに使った梅田のホテルのロビーで火村とスラリとしたロングヘアーの女性の後ろ姿を。火村の手は彼女の腰に回され、彼女は火村に寄り添うように二人はフロントのカウンターの前にいた。見間違うことはない、あの後ろ姿は火村だ。そう思ってフロントを見つめていると、火村はフロントで何かを受け取り、察するにカードキーだろうが、エレベータホールに二人は消えていった。
瞬間ではあるが、二人が正面を向いたときに火村であると確信した私は編集の片桐さんの呼びかけも耳に入らないほどに二人が消えたエレベーターホールを凝視していた。
その後のしどろもどろで、正気を保てなくなった私を片桐さんは「きっと、お疲れなのです、ゆっくり次回作の為に休んでください」と言ってタクシーでわざわざ夕陽丘の自宅まで送り届けてくれた。お礼の言葉もそこそこに私はベッドに潜り込み、頭を抱えて年甲斐もなく声を出して泣いた。
何時でも火村との関係は清算できる。と思っていたはずなのに、ほかの女性といる火村を見ただけでこんなにもなるとは思っていなかった。火村が他の男の下に行ってしまおうとするのなら、なりふり構わずに殴ってでも、泣き叫んででも自分のもとに連れ戻そうとするが、女性が相手では、私に勝ち目はない。これで火村の枷が外れるのだ。世間から後ろ指さされることも無く、周囲からも祝福されるのだ。
一晩泣いて出た結論が、別れを切り出すこと。
一晩かけて考えた言葉。
「別れよ」
 短い一言。
火村の声を聴かずに切る事が必須条件である。
一言でも火村の声を聴くと自分が自分でいられなくなる。
これ以上長い言葉を言うと酷い言葉を投げつけてしまうに違いない。
 この一言を言ったあとは電話線を引きちぎってしまおう。
 いつか言われる言葉ならば、今のうちに自分からピリオドを打ってしまおう。その方が傷はきっと浅いはずなのだ。
 受話器を置き、再び短縮ボタンを押そうとした瞬間、電話が鳴り響いた。驚きのあまりにとっさにとってしまった受話器に、「はい有栖川です」と普通に出てしまった。
『長電話だったな、やっと繋がったぜ』火村の声だ。電話にでてしまった事に冷や汗と共に後悔がどっと押し寄せてくる。
『原稿あがったんだろう?こっちに来ないか?』いつもの火村の声。心持少しテンション高めである。
「行かれへん」感情を殺して、震えそうに鳴る声を我慢して答えた。
『どうした?』怪訝な声の火村。
 どんな火村の声でも、もうこれ以上聞いてはいけない。聞いていられない。
「どうもない」平静を装うとするが、声が震える。顎が引き攣ってくる。喉元に引っかかっている嗚咽が零れそうになる。
『なら…』来いよ。と続く声を聞く前に私は「もうそこへは行かん!」叫んだ。そして、「別れよ」と勢いに乗せて言うと受話器を置いた。
 受話器を置いたときに指を挟んだが、そんな痛みも麻痺するほどに胸が痛かった。
 言ってしまった。
 すっきりするはずが、襲ってくるのは後悔ばかり。
 火村の言葉を聞いてからでも良かったのではないか。
 言い訳の一つでも聞いてからのほうが良かったのではないか。
 電話を切った後にも何回かかかってきたが、すぐに留守番電話応答に切り替わり、火村が私の名前を何回も呼びつづけていた。舌打ちと共に聞こえてくる声がだんだんと凄みを増してきて、怖くなってきたので、モジュラージャックごと引っこ抜いた。

 たぶん火村はここに来るに違いない。だけど、会う事は出来ない。どこかに行こうとも考えたが、どのみち夕陽丘のこの部屋に帰ってこなければならない、そうすれば、合鍵を持っている火村の待ち伏せに会う事になってしまう。それは避ける。浅はかな考えかもしれないが、こうするほかないと考えた私は鍵を掛けドアチェーンを施した。
 外界を遮断するように布団に潜り込み、嗚咽をこらえ、何時間か過ぎた頃、ドアノブの動く音が聞こえてきたが、出る気はない。暫くすると、
軽快なドアチャイムが鳴り響いた。
 何回も立て続けに鳴らすが、近所迷惑になると考えてか、合鍵で部屋に入ろうとしている。
ガチャガチャ。
ガンッ
ドアチェーンを施錠しているために、扉は10センチほどしか開く事が出来ない。
火村はこじ開けようとしていたみたいだが、諦めたらしく、ドアを蹴り上げていた。

「何で、お前がそないに怒らなあかんねんな……」
 
 無言で鍵をあけようと、ドアを蹴破ろうとする火村の態度からは並々ならぬ怒りを感じた。聞こえてくるのは舌打ちだけ…
 私は祈るように火村が立ち去る事を願った。
 頼むから帰ってくれ。もう俺に構わんといてくれ。頼むから消えてくれ…
 耳を塞ぐ。

「アリス、あけろ!」
 声を荒げた火村が私を呼んでいる。
 布団の中で耳を塞ぎ、目を閉じて火村が立ち去るのをやり過ごす。
 
 ガンッ
 ガンッ

 暫くすると、音が聞こえなくなり、そろっと玄関に近づき覗き見から外の様子をうかがうと、どうやら火村は去った後のようだ。

 よかった。

痛みの残る胸をなでおろした瞬間、背後からガラスの割れる音がした。

ガッシャ。

短く、乾いた音が聞こえてきた。
悪い予感に鼓動は早くなり足が竦んで動けなくなっていた。ベッドルームに戻ることも出来ない。
 逃げよう!そう思った瞬間、火村がリビングから現われた。鋭い眼光に眉間の皺。きつい顔が怒りのため引き攣っている。
「どこへ行くつもりだ」
 押し殺した低い声。
 割れたベランダの窓をバックに、腕組みで仁王立ちの火村。隣人に入れてもらいベランダを伝って来たらしい。
「どういうことだ」
 足がすくんで動けない私は金魚のように口をパクパクさせるしか出来ない。
「聞かせてもらおうか」人差し指で唇をなぞり、私を舐めつけるようにして睨む。
 逃げたい!だけど、足は震えるだけ…泣きそうな顔して火村を見ているのだ。もう自分でどんな顔をしているのか判らない。
「まず、はじめに言っておくが…・・お前は明らかに『勘違い』をしている」そう言って、火村はソファに腰を落とした。私が口を開くのを待っているのか、しきりにタバコで遊んでいる。一本出しては入れなおしたり、捻ってみたりと…長い指がタバコを弄んでいる。
「言う事があるだろ」うつむいたまま私に聞いてくるが、凍りついた私は火村の顔を見つめるしか出来ない。だんだんと視界が涙で滲んで来る。
 火村はキャメルに火をつけ一口吸うと上を向いて大きな溜息と共に煙を吐き出した。
 振り絞るようにやっと出た声で、火村を怒鳴りつけた。
「帰れ!」
 竦んで動かない足を踏ん張り、握りこぶしに力を込めた。
 何が『勘違い』だ。
 何が「言う事があるだろう」だ。
 握り締めたこぶしからは食い込んだ爪が肉を破り、鈍い痛みと共に血が滲んできた。
「帰れ!何も話すことなんかない!帰れ帰れ帰れっ!」
「ばかやろう!」
 泣き叫ぶ私の声を遮り、火村が怒鳴りつける。
「言いたい事があるんだろう?話しはそれからだ」興奮している私をなだめるように、急にトーンを穏やかにした火村はタバコをもみ消して立ち上がり、私の方へと近づいてきた。
 やはり、火村からは微かな華やかな匂いが漂ってきた。
 私の怒りは沸点に達し、火村を殴りつけてしまった。
「て…」呆気に取られた火村は尻餅をつくが、凍りついたままの私の強張った顔を見て、呆れたように笑う。
「ばか?」コギャルのように語尾を上げる。
 立ち上がると勢いよく私の横面に平手を食らわせた。

 ぱあん!

「?!」
 一瞬何が起こったのか認識できなかった私の眼前は白くスパークした。
 火村が私を殴ったのだ。
 火村が私を殴るのはよほどの事なのだ。拳闘をかじった火村は滅多に人を殴ったりはしない。それは自分の拳が武器であり、最強の武器なると自分で知っているからである。
 拳ではないが、その火村が私を殴った。
 口の中に鉄の味が広がった。
「う…く…う…」
 噛み締めながら、涙を堪えようとする。
 怒りたいんはこっちやのに。
 何で殴られらあかんねん。
「…んで…俺が…殴ら…ねん…、…んで…君に怒られなあかんねん…」振り絞って言うと、冷たい火村の手が頬に触れてきた。
「訳も判らず、『別れましょう』って言われて『はい、そうですか』って肯ける訳ねぇだろうが」呆れたように言うが、その声はさっきとは打って変って格別に優しい。
「そ、んなん、君が一番わかってるはずやろ?」
 涙を止める事が出来ない。
「俺がわかっているのは、昨日の梅田で俺を見かけて1人でぐるぐる疑心暗鬼に陥っているって事しか判らないけどな」と、意地の悪い笑みを浮かべている。 
「こんな勘違いをやらかしてくれるとは思ってもいなかったけどな」
「……まに、俺の勘違いなんか?」
 涙と鼻水を袖で拭い、火村を睨みつける。
「花の香水の残り香も、整理の行き届いた部屋も研究室も全部俺の勘違いって言うんか!」しゃくりあげながら叫ぶように火村に言葉をぶつけた。
 かくんと、右肩を落とす火村。拍子の抜けた表情になっている。
「はあ?」
「ここ最近ずっと思っとったんや、妙に小奇麗になった君と、さっぱりと片付けられた部屋、以前に比べると明らかに減ったタバコの本数、これが俺の勘違いなんか?」もう、顔も何もかもぐしゃぐしゃ。プライドも何もあったもんじゃない状態になっている。これほどまでに火村に惚れていたのだなと自覚するが、遅いのだ。そう思うと、涙は止まることなく流れてくる。
「ばか」
 火村が私を抱きしめる。
「離せ!」抗おうとするが、力で火村に勝てたためしのない私の力を封じ込める事は、赤子の首を捻るほどにたやすいだろう。
「なるほど、それでお前の妄想が猛スピードでぶっ飛んだんだな」と鼻で笑う。
「男やったら、殴ってでも、連れ戻すつもりやった…だけど、女性が相手や、勝ち目はあらへん」しゃくりあげているため、切れ切れに息を継ぎながら呟く。居心地のいい火村の温もりを感じながら、最後なのだな。と考えていると、止まりかけた涙がまた溢れていた。
「いつでも君に新しい恋人が出来たら身を引けるような気でいたんや。でもな、昨日…君としらん女性がホテルに消えたとき、確信してもうたんや、『騙されててもええ』と思ってた自分が、一瞬にして、気が狂うほどに嫉妬してもうたんや、猛烈なほどにな」
 背中に回されていた火村の手が離れていく。
「こんな関係は尋常やない。君かて世間体っちゅうのがあるはずや、ましてや大学で教鞭を取って人の前に立つ仕事をしている身にとって、俺という人間との関係はマイナスにしかならん。せやろ?せやから、別れるんや、君にも掃除をしてくれる彼女が出来たみたいやし…」
 ばしんっ
 火村がすごい形相で私を引っ叩いた。
 引っ叩かれた私のほうがいたい筈なのに、火村は右手を左でかばうようにしている。目を瞑り、俯いたまま。
「な、このまま別れよ」最後の私の笑み。
「こんな関係、ええ事なんかないで?」本心ではない言葉。自分で世間体とか、理性を総動員させて出た言葉が棘のように胸に刺さる。
「別れない」きつい顔で睨みつけてくる。
「別れる理由はねぇぞ」しれっと言い放つ火村に私は握りこぶし拳に力込めた。
「昨日のホテルは、見間違いではないが、お前の思い過ごしだ。あの人は俺が昔世話になった人の娘さんだ、亡くなったので、遺品を届けてくれたんだよ」硬く握り締めた私の拳を解いていく火村。
「それとお前に聞くが、何でそうネガティブに考えるんだ?普通恋人が何かしら変わったら、それは『自分の為』とかって考えないのか?」血で汚れた私の手のひらをズボンの後ろポケットから取り出したハンカチで拭っていく。
「『汚い格好するな』『タバコ本数減らせ』『部屋がクサイ』と、抜かしていたのはどこの誰だ」腫れている私の頬に手を添え「腫れたな」と一言。
「1人で爆走するのもいいが、確認ぐらいはしろ」火村は私のまぶたに、キスをする。
「言いたいことは溜めるな」と、私の胸を指差した。
「じゃ、じゃあ、あの整理整頓された君の下宿の部屋と、研究室は君が掃除したんか?第一ボタンをしっかり留めて緩めだけどきちんと締められたネクタイは俺が言ったからか?」
「そうだ」
「タバコの本数が減ったんも俺のせいか?」
「そうだ、おまえ残して死ねないからな?」と意地の悪い笑顔で気障にウィンクする。気障だ。
「香水は?いかにも女物ですって言う…」
 華やかな香り。
「お前が前に家に置いて行った部屋用消臭剤だ」
 やたらにフローラルな奴を火村に押し付けた覚えがある。1週間ごとに張り替える奴。その瞬間、体中の血が上がった。
 全て私の早合点だったのか。
「わかったか?」腕組みをする火村に私は黙って、ただ頷くだけ。
「別れるか?」腹が立つほど憎い満面の笑み。
 私は横に首を振る事しか出来ない。
「ま、お前の本音が聞けただけでも儲けもんか。男だろうが女だろうが、俺に恋人が出来たら殴ってでも、泣き叫びながら、なりふり構わず、引き戻してくれるんだろう?」
「速攻別れてやる」こんな憎まれ口しか叩けない。
「お前以外に、お前以上な奴なんていねえよ、お前だけだ」火村は私の頭を掴み、正面を向かせ、長い指が私の顔をなぞる。
「そ、そんなん…」頬に触れている火村の手を握り、頬擦りする。世間体を気にしすぎるあまりに、火村への思いを歪めていたのは私だ。
 目の前から火村がいなくなると言う現実に始めて気がついたのだ。火村に無理やり抱かれ、火村が目の前から去った時も、「これでいい」と何回も自分で言い聞かしていた。かってに納得させていた。
「俺なんかとおったら、お前のほうが後ろ指さされんねんで?俺はこういう職業やから、別にかまへん。世間的にも『作家』っちゅう人種はリベラルな部類にされとる。やけど、火村は違うやろう?閉鎖的で、頑固で古い考えの人間が多い世界や。俺の存在が君の枷になるんやで?ええのんか?」私の言葉に火村はふっと微かに笑い、「その言葉お前にそっくり返すぜ」と、顔が近づいてくる。
「俺との関係が何時お前を脅かすかわからない。曲がりなりにもお前は知名度の上がってきている作家だ。俺はいいんだ。偏屈で。だが、俺という存在がお前にとって重い枷となってしまうが、いいのか?」
 真摯な眼差しで私を見つめる。迷いのない瞳。私は首を横に振る。
「枷になんかなるはず…ない・・」もう、この手を放す事なんて出来ないのだから。
「それにだ、俺がお前をフィールドワークに首を突っ込ませた以上、どんなことに巻き込まれるかわからない。それ以前に俺のエゴでお前を連れ回しているんだ」
 火村は私の肩に頭を置き、小さな声で呟いた。
「電話であんなこというから、焦ったじゃねぇか…」
 小さな溜息1つ。
「昨日も『ヤバイな』とは思ったんだけどな…」
「スマン…」私が信じきれなかったために…火村が言ってくれていた言葉を何一つ信じなかったために、挙句の果て大騒ぎして、困らせてしまった。
「俺が信じてなかったからやな…」
「久々に怒髪天来たけどな、お前の本音も聞けたし、正直うれしいぜ、お前が嫉妬(やきもき)してくれて。不安だったのはお前だけじゃない。俺のほうがお前の数倍不安だった。無理やりだった俺に付き合ってくれていただけで、俺に対して同情というか、最初はそんな気持ちだったんじゃねぇかと思ってた」
 火村は、アメリカから帰ってきたあの日、「逃げない覚悟」で帰ってきた。向こうで何があったのかは知らされてはいないが、覚悟の大きさだけは判っていた筈だった。
「なあ、言い訳させてくれへんか?」ヒムラのタバコの匂いがする髪の毛を弄びながら、返事を待たずに話しはじめた。
「あんな、俺はマイナス方向に君のことを考えることで、正当化させてたんや。いつでも終わらせるつもりやったんもそうや」
火村は顔を上げ、いぶかしげに「ああ?」と首をかしげる。
「昨日、君が女性を連れてなかったらこんな風に気付く事は無かったかも知れん、確かに、無理やりやったからと言って、黙って抱かれてるわけないやろ?『嫌いじゃないから』というだけで抱かせられるもんやないやろ?それに、俺とお前は男同士やし…」
 切なげな火村の表情。
「アリス…」
「あの時から…ちゃうな、何時からか判れへんけど、覚えてないけど、好きやったんや、それを、無理やり世間の常識にはめて考えるようになって、自分の自信の無さをいい事に、こじつけてきたんや」
「ば・・・か…やろう・・・」
「君がアメリカに行ってしまったときもそうや、『俺が男やからや』とか考えたんや、君が俺のこと欲しいって言ったんもなんかの迷いや、間違えたんや。そんなふうに考えてた。自分の欲しかった言葉やのに、まっすぐ受け止める事ができへんかってん。ほんまはごっつ嬉しかってんけど…『待っててくれ』って言われた時もほんまは嬉しかったんや、けどな、男としての矜持とか、なんか詰まらんもんに捕われすぎてたんや…」
 火村が私を引き寄せる。
 抱きしめてくれる。
 起用に片眉を上げてニヒルな笑顔を見せる。
「ごめんな、おれ、信じてなかった。君の言葉も態度も…嬉しかったのに、ほんまに嬉しかったや、けど、ちっぽけな『常識』に捕われすぎてたんや、信じたかったのに、自分に自信が無いために、君の言ってくれた事、してくれた事ぜんぜん信じてなかったんや…」
 ひたすら俯いて謝る私の顔を火村は顎に手をやって、上を向けさせた。
「それは、『信じていない』ということではないだろう?信じてくれていたんだ」そして一呼吸置き、「恋する男はな、なんでも都合よく考えるのさ、オプティミスティックに物事を考えるのさ。特に俺の場合はな、お前が受け入れてくれただけでも『儲けもん』って思ったけどな、さしずめお前は反対に考えてしまった。美味しそうなご馳走を目の前にして、考えたんだよ『これは絶対罠だ。こんなに物事都合よく行くはずがない』ってな」
 そうなのだろうか。判らないけど、火村への気持ちは本当だった。常識や世間というくだらない固定観念の裏に火村に対しての独占欲が湧き上がったのはその証拠ではないのだろうか。
「しかし、お前がこんなにペシミストだとは思わなかったな」
「俺だって、なんでもかんでも楽観的に物事考えるわけやない…特に、火村のことに関しては…でもな?もう、間違わへん」
 私は火村の襟首を掴み、「こんなあほな間違い起こしてもうたけど、許してくれへんか?」と詰め寄った。呆気に取られた火村は「お前が俺を脅すのか?」と、笑った。
「そうや。気がついてしもうたからな、寝た子を起こしてしもうたんや」ゆるく結ばれていた火村のネクタイを締める。
「O.K.」と両手を上げる火村。
「もう、放せへんで?嫌や言うても、付き纏うで?」
「覚悟している」チシャ猫のようなつかみ所のない笑顔だけど、優しい瞳が笑っている。 
上げられていた両手が私の背中に回り抱きしめられ、耳元で囁く。

雨降って地固まる。

「俺を生かすも殺すも、お前次第だ」
「ほったらしにせんとてな?寂しいと死ぬで?」下になるほうが長くなっているネクタイを弄ぶ。
「ウサギかよ」
もう、狂いそうになるような時間を過ごしたくはない。
 いつ帰るとも分らない人を待つという事ほど死にたくなる。あんな気持ちになりたくない。
「待つんは嫌や。押しかけたる。邪魔や言われても居座ったるねん」
 そういうと、私は火村の唇に噛み付いた。
 
「お前こそ、俺を邪険に扱うなよ?餓死するぜ?」
 そう言って甘いキスを私にくれた。
「お前がな」そう言って、笑った。
 確かに…。


 俺の本音が聞けて、儲けもん。といった火村だけど、今になって考えると、必死の形相でベランダ伝いにガラス割ってまで、私の部屋に来た火村も見ものだったな。


 業者が来るまでガラスは暫くラップやビニールでカバーした。もちろん弁償は火村だ。
 玄関のドアについた足跡も暫くは消さないで置く。
 貴重な状況証拠だから。
 慌てて私のところに来てくれた証拠。

 
End



お粗末!!

体中痒いわぁ。
あまい。
もっと長くなる予定でしたが、予定が詰まってるので、短くなりました。だって、これが終わんなきゃせっかくのアレに手が付けられないんだもん。それにしても、ぐるぐるアリスは楽しいね。
何気に関西弁も使っている火村。
関東の人は「儲けもん」って言う表現をされるのかなあ…「めっけもん」とも言うなあ。大概口悪いわ、自分…。

 

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