眩闇
Brightness and Darkness
--You are the only that t have really loved and wanted--



 
 2週間。
 連続猟奇殺人の犯人の足取りはいまだ掴めずに居る。
 捜査陣の焦りは日々募るばかり。幸いなことにシャノンが殺されてからはまだ被害者が出ていない。
 "奴"は数々の痕跡を残しているが、何者かも判明していない。ただ、被害者の1人から"奴"が残した陵辱の後の鑑識結果では、生殖能力皆無。被害者の手に纏わりついたブルネットの髪の毛の中から被害者のものではない数本の頭髪と、爪から検出された皮膚の一部。その頭髪と皮膚のDNA鑑定の結果、生殖機能の未発達もしくは男でありながら男ではないと、染色体が限りなく46XY核型という男性型でありながら、微妙に形が違い、医学的検知から考えるとかなり稀な特殊なケースである。ただし、このデータは三人目の被害者であるリンダ・ノートンから検出された。他の被害者からは違う数値と、別人であると報告されている。
 遺伝子のデータをもとに病院のカルテなどからの捜査が始まったが、特殊ケースだというのにもかかわらずデータの該当するものがない。これだけの決定的な証拠を掴んでいながらも、何も掴めないでいた。被害者の体に残された証拠が語っているのは、被害者たちを犯したのは別人である。が、鑑識の結果では、被害者の裂かれた皮膚組織や癖など、使用された道具などが同じだという事で、直接に手を下したのは共通の人物という見方が有力である。
 火村はこの事件"コレクター"に関して民間心理捜査官として加わっているが、実のところ、プロファイリングに対して懐疑的なため、探偵のような役割である。足で事件を掴む。データを集める。
 
 鑑識結果。

 目撃証言。

 状況証拠。

 "奴"は誰にも気づかれずに犯行を行なえたのか。
 しかし、どこかに糸口があるはず。

 たとえば、なぜ"奴"は女性の身体の一部を切り取るのか。
 
 

 FBI関係者の溜まるバーのカウンターの一角。
 レオーニと火村が落ち着いた照明の中でグラスを傾けていた。
 それなりに人間が入ってるにもかかわらず、静かに落ち着いた雰囲気で飲める店。
 オーナーはFBIのOGである。現役時代には敏腕捜査官と知られていた男で、退職した今では現役捜査官のよき相談相手でもある。
「おっさん、えらく今日は静かじゃねえか」と、火村の隣に座ったのが、FBI支局の支局長の取り巻きの一人であるブライス。
 白人の小男。鋭敏さの欠片もない体型。人を舐めたような話し方、白人至上主義をいまだに貫く今では古い頭の持ち主である。独断と偏見の固まりのそんな男が火村の隣に座るという事は、唯一つ。
 嫌味の応酬。
 ただし、嫌味というのは相手が怯んでこそ効き目があるというもので、火村には殆ど通じていない。
「日本人でもバーボンを飲むのか」「ここはお子様の来る所じゃねぇぜ」「日本人と飲む酒はまずい」「日本人がキャメル吸うのか」などと、火村に対してというよりも、あらかさまな人種差別を吹きかけてくる。それが火村だけならまだしも、見た目はヒスパニックのレオーニにまで火の粉が降りかかる。
「お兄様は白人なのにねぇ」と、侮蔑の目で見る。
 だが、火村もレオーニもそんな戯言には耳を傾けない。
 ブライスは火村が捜査でFBIと関わり合うようになってからずっと、何かにつけて火村に突っかかる。
「…せえなあ」と、虫を払うように手を振り、殆ど溜息のような日本語で呟く。
 こういうことにはとんと鈍いはずの火村も、ブライスという男の陰湿なやり方には辟易していたところで、堪忍袋の緒が切れる寸前だった。 
 ふと、レオーニを見るとグラスを握る手に力が入っている。
 「爆発するなよ」と半ば祈り気味にレオーニの目を見る。
 怒りに震える手が限界に来ている。普段は人一倍穏やかな男が怒りに肩を震わせている。
「ブライス」トーンを落とした声で、一人人種差別演説を繰り広げている男の名前を呼んだ。
 火村が片手で、顔を覆う。
「あ〜あ」ブライス、お前は怒らせてはいけない男を怒らせたんだよ。と、一人ごちる。

「俺が、ヒスパニックだって言いたいのだろう。言えばいいんだよ」と、普段にはないさっきと怒りをもって凄みながらブライスの襟首を掴んだ。
 ブライスの顔は幾分引きつりながらも、まだ侮蔑の笑みを浮かべている。
「怒るって事は…」とブライスが続きを言おうとした瞬間、レオーニが拳を振り上げたが、火村がレオーニを止めた。
「なん…なんで止めるんだ」
レオーニは振り上げた拳をがっちりとつかまれて、振り下ろすことが出来ず、火村を睨みつける。
「俺が殴るからさ」火村は拳を構え、ブライスにカウンターを食らわした。
 殴られたブライスは尻餅をつき、呆気にとられている。

「貴様が卑下するジャップに殴られた気分はどうだ?」

 にやりと、口の端をゆがめて笑う火村をブライスは見上げる。
 口の端に血をにじませ、唇をかむブライスは、立ち上がり、火村の襟首を掴む。
「っさまぁ!」殴りかかろうとするブライスの腕を火村は捕え、ブライスの背中に回し、ひねりあげると「次長のケツの穴でも拭いてろ」と、傷みに顔を歪ませるブライスを半ば投げるように解放し、何も無かったかのようにスツールに座りなおす。
 自分の存在を無視されたブライスは火村の座るスツールを足で倒そうとするが、備え付けられているスツールはびくともせず、逆にブライスの足を痛めつけた。
「まだいるのか」とレオーニが一瞥する。
「くっ…」悔しさにゆがんだ表情のブライスは火村とレオーニを睨みつけ、踵を返した。
 店の中では、拍手が沸き起こった。

「支局次長ら一派は鼻摘み者なんだよ、私が現役の頃から無能なくせに美味しいところ掻っ攫うような奴らだよ」と、店のオーナーが小さな声で火村に耳打ちする。
「ここにくる奴らの殆どは、あいつ等の下で働きたく無いやつらさ」
 肩をすくめるレオーニ。
「働きたい奴なんているのか、出世の見込みのなさそうな連中の下で…」グラスをオーナーに差し出し、二杯目を告げる火村に、後ろから「この英雄に俺のボトルを開けてくれ」と、火村が顔だけは見知っている金髪碧眼の華やかな長身の捜査官が立っていた。
「噂には聞いていたよ、オリエンタル・クール・ビューティーのレオーニの相棒の事はね」と、気障にウィンクを火村に投げかける。
「ラルフ。ラルフ・ハーマンだ」と火村に手を差し出した。
「よろしく」と、胡乱な目を向ける火村。
「久しぶりだね。レオーニ」と、火村の隣に腰掛ける。
「久しぶりだな。何してたんだ」
「ん…ずっと別件で『コレクター』の捜査には加わってなかったんだが、晴れて事件が解決したんで、急遽こっちにまわされたんだよ」と、差し出されたグラスに口をつける。そして、レオーニの顔を見て、「シャノンの事は聞いたよ、ケインにも会ってきた」と沈痛な面持ちでグラスを口に運びながら呟く。
「なんと言っていいか解からなかったよ…」
「かけられる言葉なんてないさ」火村が呟く。
「お前の抱えていた事件て解決したんだ」
「ん、犯人自殺で終り。なんでこう、異常な殺人が多いのかな」と、ラルフが零す。
「酒を飲みながらする話じゃないよね」と、金髪碧眼の男は花のような笑顔を火村に向ける。
「だけど、君は何かやっていたのかな、あのファッティーを投げ飛ばすのは…」舐めるような視線で火村を眺める。
 東洋人にしては高めの身長と高い腰。マッチョな体型ではないのに、アメリカ人の小柄とはいえ体重は火村より重たい男を殴り飛ばした。ラルフは火村の肩に手を当て、ぽんぽんと軽く叩いた。
「かなり鍛えているね」
「特にはしていない」と馴れ馴れしいラルフに冷たい視線を送る。
「謙遜はいけないよ。遠慮と自己を卑下するのは日本人の悪い癖だよ」と笑う。
「ああ、火村はハイスクール時代にボクシングをやっていたんだよ」レオーニはボクシングの構えをして見せた。
「……」
「ふうん…」と、またも火村を見つめるラルフ。
火村はラルフの視線を無視してキャメルに火をつけ、紫煙を燻らせる。
「気をつけろよ、ラルフはいい奴なんだが、ゲイなんだよ」と、声を顰めて火村に耳打ちするレオーニ。「あいつの好みはゲイの癖にマッチョな奴はダメなんだよ」とも伝えた。
「ふん」と気にとめない火村は口元だけで笑う。アメリカのゲイはマッチョが多いという偏見が火村に笑いを誘う。
「レオーニ、彼に告げ口したね?」とラルフがレオーニを睨みつける。
「当然」
「酷いじゃないか。失恋したばっかりで、せっかく好みの人が目の前にいるっていうのに」
「大切な友達をお前のような奴の毒牙にかける気はねぇもん」
 出ようぜ。とレオーニ席を立つ。火村もそれに続く。
「じゃあな」
 レオーニは20ドル札をカウンターに叩きつけるようにして火村を引っ張っていく。
「またね♪ヒム」と手を振るラルフ。

「引っ張るなよ」と、火村の衿を掴んでいたレオーニの手を払う。
「すまん」
「親友なんだろ?」キャメルを咥える。
「ああ、あいつはゲイでも、それを差し引いても俺の最高の親友だ」と、夜空を見上げるレオーニ。
「もちろんお前もだぜ?」と慌てて付け足すレオーニに火村はふっと、笑う。
「サンキュ」
「昔は俺よりもちっさくて、頼りない感じだったんだ。俺と一緒に良くアニキのお尻ついて回ってたもんさ」と笑う。
「お前は寛大だよな。自分の親友がゲイでもちゃんと向き合っている」
「ん〜〜。寛大なのかな。そ〜いや、俺、あいつには一度迫られたことあるなあ」暢気なことを言う。
「やっぱりな」
「やっぱりなって?」
「ん、あいつは俺の事、見てなかったからな」としれっと言う火村にレオーニは「あいつ、お前のこと舐めるように見てたぞ」と言い返す。
「それは、ほれ、値踏みしてたんだよ」
「値踏み?」
「そう、俺がお前の何かって事だよ」
「はあ?」
 あいつも可愛そうに、足掛けン十年の片思いか。
「人の事は気づくのに、自分のこととなると何にも気づかないんだな」
 呆気にとられるレオーニを残し、火村は男のいる高層マンションへと帰っていった。



 

 

to be continued...

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