眩闇
Brightness and Darkness
--You are the only that t have really loved and wanted--


 

「ヒムラ、おきろ」
 まだ日の昇らない時間、ヒスパニック系の沈痛な面持ちの男が、ソファの上で胎児のような体勢で寝ている火村の毛布を引き剥がして起こす。
「シャノンが"奴"に殺された」
 完全に目の覚めていない火村は、寝癖でぼさぼさの頭を掻きながら毛布を畳む。頭の中で、シャノンシャノンと呟きながら、シャツを着替える。
「殺されたといったな」
 鋭い眼光が一瞬にして走る。
 手櫛で乱れた髪を直す。
「記念品は?」何がなくなっていたのか。火村は男に、FBI捜査官レオーニにそう聞いた。
「え?」
「"奴"の手にかかったのであれば、遺体の一部、それも性器切除もしくは眼球が抉り取られてなかったか」
 『コレクター』と在り来たりの安いスプラッタームービータイトルのようなコードネームがつけられた事件の容疑者。
 プロファイリングによる容疑者は20代後半の男。秩序型の殺人犯で、白人とされている。主な手口は女を誘拐しては犯した跡に腹を抉り性器を切除、もしくは、ブルーアイズの女の場合は両目を抉り取り去る。
「シャノンはブルーアイズだったな」
 2週間前に空港に自分を迎えに来てくれた女性。そして、一度は愛した女性(ひと)でもあった。
流れるプラチナブロンドに透き通るほどに白い肌。凍てつくような青の瞳の印象は、冷たい感じさえ漂うが、形の良い薄い唇からこぼれる優しいトーンの声が、彼女の印象を優しいものに変えていた。そして、火村の耳にも彼女の甘く優しい声が微かに残っている。
笑うと、冷たい彫刻の天使から春を告げる女神の微笑みになる。あの女性が殺された。儚げでも逞しく強く生きていたあの人が何者かによって、殺されてしまった。
「彼女は誰が犯人か知っていたんだな」火村が呟く。
「俺たちにはまだつかめていない犯人を彼女は突き止め、そして、殺された」
 何か、シグナルのようなものを彼女は発していなかったか?
 火村は考える。
「顔を洗ってくるよ」レオーニに上着を渡す。
「相変わらず、無頓着なんだな君は」
 レオーニは火村から受け取った上着を見ていった。
 受け取った上着はヨレヨレ。仕立てのいい、それなりの物のはずなのに、手入れがされていない。ハンガーに掛かっていただけマシなのかも知れない。
「またせたな」適当に整えられた白髪交じり頭からは仄かにコロンが匂う。
 この部屋の主人のものらしい。
 趣味のいいものだ。
 白人の男にしてはさっぱりとした香り。
 この火村という男、自分のものにも無頓着であれば、他人のものにも気を使わない。いや、それなりに使うのだろうが、並みの神経ではない。と今更ながらにレオーニは思った。

「こっちに来て2週間でこんな事件に巻き込まれるとは思っていなかったな」
レオーニは自身が運転する車の中で、人差し指を唇に当てている助手席の男を見た。
切長の鋭い剣呑な輝きを宿した黒い瞳、日本人にしては自分と同じ腰の高さ。背も低くなく、むしろ、整った無駄のない体躯が野生を匂わせる。まるで、しなやかな獣、黒豹のようだと。
「レオーニ、俺の顔に何かついてるのか、前見とかないと、ぶつけるぜ?」
「いや、すまん」ヒムは、自分の中の日本人像と余りにも掛離れている。独断と偏見はいけないと思いつつ、火村への考察は止まらない。
「なあ、聞いていいか」 
「なんだ」
「家政婦さんが鍵を開けてくれたけどな、あの部屋の持ち主だけど、朝早く押しかけたのにもかかわらず、いなかったぞ、」
 要するに、何者なのだと聞きたい。
「ん〜、お勤めの時間だったんだろう」
 火村は欠伸混じりにレオーニの問いをはぐらかすが、レオーニには部屋の表札の名前に覚えがあった。
 どこかで見たような名前だ。 

 がっくん。

「考え事しながら運転するなよ」
 レオーニの車は、彼が考え事に没頭しかけた為に、歩道に乗り上げてしまった。
「ははは…」火村より幾分ガタイのいい男がかわいく笑ってごまかそうとする。
「笑って、ごまかすな、現場はもうすぐなんだろう?」 
 車をバックさせ、軌道修正し、現場へと急いだ。


「なあ、シャノンと付き合っていたんだよな」
 徐にレオーニが口を開く。
「ん?ああ、昔な、子供の時だよ」
「あいつ、君が日本に帰ってからは、しばらく誰とも付き合わなかったんだ。だけど、去年、結婚するんだって言ってたんだ」レオーニは涙を拭う。
「おまえの兄貴だろ」無表情な顔。
「シャノンが言っていた。俺を迎えにきてくれた空港で」窓の外を見る。
「おまえの兄貴は大丈夫なのか」
「ん…電話をくれたのはケイン(アニキ)だ」
 シャノンと一緒に空港にきていた男。レオーニの兄、ケイン。ヒスパニックと一目で判るレオーニに比べ、親が違うのでは?と思うぐらいに風貌が違う兄弟。隔世遺伝だとレオーニは言っていたが、あまりにも違いが大きい兄弟。
 金髪碧眼。
 レオーニの母親側が白人系。
「なあ、ヒムラ、今が気が付いたんだけど、君が泊まっている部屋の持ち主って、もしかすると…」まっすぐ前を向きながら火村に聞いてきた。
自分のタバコを弄んでいる火村は「ん?」としか言わない。
「うちの支局長のミドルネーム…たしか、あの人…」気まずそうに最後の一言を濁す。後に続く言葉はこうだ。「妻子持ち」と続くはずであるが、レオーニもヒムラの性格を何となく?んではいる。まともな答えを返さないということを。
 何事にも執着を持たない。だからこそドライな人間であると。
「だから?」しれっと返してくる。
「俺がどうこう言うことじゃないよな」と話題を切る。
 レオーニ自身も火村という男に惹かれるものがある。正確には『引っかかる』である。だが、この鋭いナイフのような男を知ろうとすれば、必ずや何かしらの傷を受ける事になる。とレオーニは本能で嗅ぎ取っていた。


車中、短い沈黙を破ったのは火村だった。
「シャノンと組んでいたのはどんな奴だ」
 犯罪捜査には二人一組で行うのが常識である。それを、シャノンは一人でターゲットに近づき、殺された。近づいたのか、"奴"からの接触があったのか、どちらにしろ彼女はFBIの、捜査のルールという軌道から逸脱してしまったのだ。
「俺の同期で、年は俺よりも5つ上で、カラーはホワイト、性格は悪かない。むしろ、いい方だと思うよ。経歴としては、州立大学医学部を中退後、警察学校に入学、5年余りをフロリダで勤め、それからFBIに入った」
 アメリカでは学年が同じだからと言って、同い年とは限らないということが多い。飛び級(スキップ)するものもいれば、今でこそ日本でも、違う学部を渡り歩く学生もいるが、アメリカでは飛び級も、再入学も珍しくないのだ。
「ふうん、医学部中退ね、かわってるな」
「かなり優秀だったらしいが、医者向きではないと自分で悟ったらしい、専攻を変えようとも思ったらしいけど、大学戻る気はなかったらしいよ」と、レオーニとシャノンの相棒はかなり懇意にしているらしい事が聞き取れる。
 
「で、"奴"は、シャノンから何を取って行った?」
 火村の問いにレオーニは答えなかった。答える事は出来なかった。
 自分が電話で受けた報告ではかなり凄惨な現場だった。
「妊娠していたんだろう」と、キャメルの煙を吐き出す。
「知っていたのか」レオーニは目を見開く。
「ん、迎えにきてくれたときに報告を受けた。結婚のことも、子供のことも」
 火村は空港に迎えに来てくれた時の彼女の顔を思い起こす。花のような笑顔で、「これって、日本語で『出来ちゃった婚』って言うのよね」と笑っていた。
「……」レオーニは唇をかみ締め、火村の横顔を見る。表情の変わる事がない火村の顔には苦渋に満ちた黒い鋭い目が光っていた。
 車はシャノンの殺害現場に着き、車を市警のパトカーの横に着けた。
 赤レンガの古い倉庫が連なる倉庫街。
 昔は貨車乗り入れで、人通りも多かったが、今は人気もまばらで寂れている。
 シャノンは壊れた冷凍倉庫の中で見るも無残な姿で発見された。
 警察車両の行きかう中、あれだけ世間をにぎわせている「コレクター」の犯行と断定されながらも、マスメディア関係の口うるさい連中が珍しく現場にいなかった。上層部が握っているのだろう。情報が漏れないように。報道管制が敷かれているのだ。
 火村が言っていたシャノンのブルーアイズは閉じたままで、抉り取られた形跡はない。が、首から下は発見されていない。首はプラチナブロンドの長い髪を束ねたまま、梁にくくりつけられ、ぶら下げられていたが、火村たちが冷凍庫に入る頃には検察医や鑑識たちの手によって白い布の敷かれた棚に置かれていた。
「体がないんだ」火村とレオーニが現場に立ち入ると、ひときわ背の高い男が立ち尽くしたまま呟く。シャノンの首を崇める様に見つめながら。
「兄さん…」
 打ちひしがれる男にレオーニはかける言葉も見つからない。
「ヒムラ、君も災難だったな」とレオーニの兄ケインがやるせない笑顔で声をかけてくる。
婚約者を猟奇殺人の餌食になった男にかける言葉が見つからない火村は、シャノンの顔を見る。

自分を愛してくれた女性。
その思いに答え切れなかったが、愛した女性。
 顔(かんばせ)は儚げに聖母の微笑を浮かべている。

「安らかだったことを願いたい」火村は呟く。 
二人は冷凍庫から外へで、レオーニの車の方へと向かう。
「シャノンの扱っていた事件と、リンダの扱っていた事件の共通点を探さないとな」と、キャメルに火をつける火村。
 手がかりはそれである。
 シャノンが掴んだ犯人像。
「シャノンの手元にある資料に目を通す必要があるな、しかし、殺された人間5人の中にFBI関係者が二人、俺と兄さんとシャノン、そして君に関係している人間が二人だ」と、レオーニは火村のキャメルのパッケージを取り上げ、1本引き抜いて火をつける。
「リンダ・ノートンと、シャノン・ギャラガーか…」FBI捜査官の二人の女性が誘拐され、殺害された。一人は両目を抉られ、もう一人は下半身を失ったまま。
 二人とも火村とは機知であった。リンダは昔火村が留学していたときの下宿先の娘で、シャノンは恋人だった。
 何かこの関係に繋がりがあるというのか。
「猟奇殺人に理由があるのか」レオーニは拳を握る。
「さあ」殺したいと思う言葉には理由はある。
「秩序方だとか、無秩序だとか定義づけされても、殺人には違いがないのにな」
「プロファイリングか」
「火村は嫌いなんだったな、プロファイリングによるとだな、20代後半の白人男性となっているが」
「ああ、統計で、殺人事件が解決できりゃ文句はねぇだろ、が、プロファイリングには限界がある、統計である以上、星占いとなんら変わらないのさ、それ以前に人権の侵害ってもんだ」
 またキャメルに火をつける。
 プロファイラーだったという人間が書いた本の中で、「ここにはFBI心理捜査官からの抜粋」という部分が思い起こされる。しかしだ、書いた人間も白人だから人種差別だとかにはならないのかもしれないが、いくら統計としてもだ、非常に浅はかではないか?
火村とレオーニがプロファイリング談義を繰り広げていると、市警の若い制服警官が茶封筒をレオーニの元に持って来た。
「プロファイリングを信じてなくても、これは信じれるだろう」と、封筒の中身を出して火村に差し出す。
 今までの被害者の写真だ。身上書の写真と現場の写真。
 一人目の被害者が両目を抉られ、性器には生前性交の後がある。犯行現場は特定できず、遺体発見場所は、郊外の空室となっているアパートメントの一室。
 二人目は生前性交、両眼摘出、そして性器切除の上、乳房をも切り取られ「非女性化」されていた。遺体発見場所は廃校となった小学校の教室。
 三人目がリンダ。他の二人に比べて残酷さが増し、陵辱された後、胸の間から一直線にナイフで切られ、その跡にも犯人のものと見られる精液が付着、そして両目を抉り取られていた。遺体発見場所は市内中心地に程近い半ば廃墟と化したカトリック教会の懺悔室。
 四人目は両目を抉り取られ、発見されたのは公園の東屋。比較的綺麗な状態の遺体。陵辱の痕跡があるが、異常性交の後は確認されず。
 そして、五人目、シャノン。首から下の体が発見されていない。切り取られた頭部の損傷は極めて少なく殺された後に頭部を切断されていた事が確認されている。
 "奴"は性交という痕跡を残しているにもかかわらず、足取りがつかめない。
「殺害方法が一貫しているようでしていないな」と写真を眼に呟く火村。
「は?」車に持たれてタバコをふかしているレオーニは火村の呟きに怪訝な顔をする。
「両目を抉られているのが3人、性器を切除されているのが1人、これを同一犯と断定するには早計過ぎたんじゃないのかとも思うが、いや、違うな、欲求がエスカレートしているのか」
 2人目の被害者の写真を見る。
「プロファイリングから言えば、「女性を憎んでいる男」となるんだな」
「女性器切除か?安易な結論だな。だが、シャノンの場合はまだどうなっているかはわからない、女性を連続して殺害するからって女性を憎んでいるとは限らんさ。『切望』ってのもあるぞ。だが、陵辱している以上、それはありえないか」火村はさっき採られていたシャノンの現場のポラロイド写真を見る。
 遺体発見現場は放置された頭部からの出血以外の血痕は見当たらず、手がかりは殆どなかった。切断面の生体反応が見られないという事が検察医の簡単な検察結果が報告されていた。
「断定できるのは「セックスサディズム」による殺人ということ」火村は他の被害者の発見現場の写真を見る。
「被害者の体の一部に加虐の後はなかったのか」
「あった。直腸裂傷、耳朶損傷、リンダと一人目は足を折られていた」レオーニは火村から写真を取り上げ、写真のリンダの左足を指さす。
「逃げられないように折られたんだ。リンダの場合はそうだったが、一人目の彼女は生きている間に両目を抉られていることが判明している」
「尋常じゃねぇな」写真と共についてきた書類にも目を通す。
 解剖所見を見て呟く火村。
「殺し方がエスカレートしたと言ってもいいか」
「性交跡が合ったと見ると不能者ではないと、見るが、ネクロフィリアか」
 レオーニは写真を見る。比較的損傷のなかった4人目の被害者の写真。
「いや、奴は被害者を殺す前から痛めつけ、性行為を行なっていたとも言えるな」
「ネクロサディズムいや、セックスサディズムってとこか。"快楽の追求の為に殺人を犯す"」
「おまえ、さっきからプロファイリング用語ばっかりだな」
「兄貴の影響かな」
 2人がタバコを咥えながら車のボンネットにもたれ話しているところに、ケインがやって来た。

「君のことだが、捜査に加わっている以上、はっきりさせとかないといけないということで、君の身分は一応、表向きは民間特別心理捜査官ということになったらしい」火村の隣にもたれる。
 政府公認私立探偵と同じ扱いという事か。火村は溜息をつく。
「君ならごまかせるだろう。いつどこから情報が漏れるかわからないからな、特例ということだ。君なら言葉も堪能だし、記者連中にコナかけられても余計なことを言わないだろう」と、空を仰ぐ。
「あんたが手配してくれたんだろう」と火村は内ポケットから新しいキャメルを取り出し、パッケージを破ってケインに差し出した。
「サンクス」と、キャメルを受け取り「俺の一存じゃないさ、君にはわかっているんだろう、誰が君の身元を保証したかは…」
「はっ」と火村は笑う。
 余計なことを。とぼやく。


「私はプロファイラーだが、君と私の違いが理解できないんだよ」ケインはキャメルをふかしながら呟く。
「違いか?」
「ああ、だが、私もプロファイリングという手段には疑問を感じざる得ない場合がある」苦虫をつぶしたような表情のケイン。
「プロファイリングを捜査の一手段として理解しているだけましな気がするよ」とレオーニが口をはさむ。「プロファイリングで解決した例もあるけど、やっぱり、実地捜査する人間にとっては手段の一つにしかならないんだよ」と雄弁に語る。
「有効な手段だが、捜査の主流として考えると、行き詰まる」と火村がレオーニの後に続く。「人間は十人十色、同じ考えの人間なんていやしない。思考パターン、行動パターンが似ていても、違う人間なんだ。猟奇殺人だからと言ってカテゴライズするのは危険なときもある」
「君は犯罪学専攻なんだろう」ケインはキャメルを靴の裏でもみ消し、車の窓から中に置いてあるコーヒーの入っていた紙コップに捨てた。
「ええ、でも、社会学という括り(カテゴリー)でだ」
「捜査に加わった事は?」
「Never」新しいキャメルに火をつける。
「ああ、日本じゃこんな猟奇的な事件、頻繁に起こることもないか」とレオーニ。
「そうでもないぜ。今の日本は深刻な若年性犯罪が多いんだ」
「聞いた事があるよ、資料にもあった」ケインは自分の左の薬指の銀の指輪を弄ぶ。
「ともかく、シャノンが殺された今、私は今日から担当を外れなければいけない。何かあっったらすぐに言ってくれ」と、ケインはダークグレーのキャデラックに乗り込み現場を去った。
 警察公安組織に置いて、被害者が身内などであれば捜査からは外される。冷静な判断を下すことが出来なくなる事を防ぐためである。ケインの場合もシャノンと婚約、そして自分の子供を身ごもっていたということで、捜査の中心からは意図的に外された。だが、優秀なプロファイラーのため、表舞台に出ないということで、捜査の中心を担うポジションにいることには変わりがない。
 


 

 

 

to be continued...

Back

top