Winter Comes Around



1.

 関西国際空港発仁川国際空港着アシアナ航空320便で圭は大韓民国という日本から最も近い隣国に足を踏み入れた。
  3泊4日のツアー。
  本来ならば新婚旅行になるはずだった。
  韓国ドラマに嵌った彼女たっての要望でドラマのロケ場所や登場人物ゆかりの地などを訪ねるツアーだった。
  圭にしてみれば韓国ドラマにはまったく興味なく、ソウルに行ったから何をしたいという希望もなく、ただ単に彼女の思うとおりに要望を叶えてあげただけなのだ。
  ツアー同行者はいわゆる韓流スターに夢中の「おばさん」たちや、新婚旅行カップルだった。
  ツアーをキャンセルすればよかったのかもしれないが、膨大に取られるキャンセル料金と、日本にいたくない気持ちが圭をソウルに導いた。
  関空での集合の際に、彼女が申し込んでいたオプションツアーを全て断り、仁川空港に到着後そのまま自由行動にしてほしいと申し込んだ。
  3組の新婚カップルとミーハーなにぎやかな女性たちの中で、圭は異色の存在であり、鬱々とした空気を纏っている人間が一緒にいるということで、雰囲気を壊したくなかったのだ。
  ツアーコーディネーターは困った顔をしたが、韓国滞在中の定期連絡を現地添乗員にすることと、圭が英語が話せることもあり、朝食時にその日の予定を申し告げておくことで「特例」として許された。
 

 
  仁川国際空港に降り立った途端に冷たい風が圭の心を一際凍らせた。
  暖冬だといわれていた日本とは比べ物にはならない寒さ。それでも、2、3日前までは大寒波が襲来していたと言う。
「身に染みるよなあ…」
  結婚式をほぼ土壇場でキャンセルされ、それに伴う費用をすべて圭が被り、世間の冷たい視線を浴びてきた。
  式をするはずだったホテルに泊まり、自分の気持ちを整理した。女々しい男に見られているかもしれないが、一緒に泊まってくれた友人や、慰めてくれた友人は誰一人圭を責めず、優しく慰めた。そして、一人で新婚旅行先に行くということを言うと、誰もが圭を引き止めた。
「そんなに死にたいって言う顔してる?」
  友人たち一同は一斉に立てに首を振った。
「大丈夫だよ、岸壁から飛び降りたりしないって。それに、今となってはこうなって正解だったって思えるし、このまま結婚しても遅かれ早かれこういう結果になったんだよ。彼女にとっても、ぼくにとっても。それに経歴には何一つ傷はついてないしね」 
  圭は悲しげに笑った。
  入籍はせず、彼女の要望で夫婦別姓でなおかつ籍は入れないというものだった。最初は圭自身も彼女の余りにも自分勝手な要望に辟易したが、「まあ、新しい夫婦関係ってのもありかな」って言う程度にしか考えないようにし、表立てて彼女の結婚の条件を口にはしなかった。それは誰が聞いても彼女の我侭であり、知った人が聞けば皆口をそろえて彼女が「我侭」だとか、「お前は利用されている」としかいわれないのも理解っていたからである。
「あと、この旅行で綺麗さっぱりしてくるよ」
  仲人を頼んでおいた上司は結婚の取り止めを圭の口から聞いたときに「気にすることはない。それは君にとって懸命だ」そう言って圭の肩を叩いた。
「何しろ、君はまだ26歳でこれからいろんなことが経験できる。仕事にしてもそうだ。言っておくと、君は幸運にも古い体質の日本企業ではなく、プライベートとビジネスをきっちり分けることの出来る外資系だ。何も気にすることはない。君が堂々としてれば笑い話に済ませれるよ」
  40代前半のマネージャー、圭の上司であるジェイスン・柳田は笑った。
「『結婚も若気の至り』って笑えるようになるさ」白い歯を見せて笑う美丈夫はバツイチで高校生ぐらいの息子がいるらしい。かなり若い頃に結婚をしたという話であった。
  圭が仲人を依頼するときに「君も墓場に行くんだ」ということを言って、圭を苦笑いさせた。
  圭が休暇をそのまま消化させるというと、彼は「ゆっくり休んできなさい。そして、また笑って戻っておいで」と優しく肩を叩いた。

 彼女が消えてから圭はずっと考えてきた。
  彼女が自分のプロポーズに答えてくれたにもかかわらず、なぜ逃げたのか。
  けして彼女が派手だったのではなく、圭が人より思慮深く、相手の気持ちばかり優先してきた節がある。付き合った女性たちには「優柔不断」「人の顔色ばかり見てる」などと言われたこともあった。
  自分をどん底に突き落とした彼女を圭は責めようとは思わなかった。結局は自分のこの性格が招いた結果であり、最後まで彼女の前の男を忘れさせることが出来なかった自分の落ち度だと思ったからである。
  披露宴の3日前に彼女の両親は直接圭のところへと詫びに来た。深々と頭を下げ、母親にいたっては泣きながら圭の手を握り「娘をどうか、どうか許してやってください」と縋るのだった。
  彼女の両親は圭が被った披露宴のキャンセル費用や、結納金などのすべてを返してくれた。
  すべては娘が勝手にしたこと。婚約者である圭には落ち度がないと言ってくれた。
  そしてその肝心の娘の行方は両親も知らない。
  ただ分かっていることは、彼女の失踪が周到に計画されたものであったということである。
  発注した引き出物は幸いにも有名菓子店のものだったのであるが、それほど大きな金額にならず、一番の痛手ともいえるものにしても、結婚を機にと賃貸契約したマンション。26歳の圭には分譲は無理ということもあり、賃貸で築十年ほどのマンションになった。
  2DKのマンションで一人彼女の物を整理している間に出てきたのは彼女の幸せそうな笑顔と、自分と正反対の性質であろうと思われる男と写っている写真が出てきた。
  背景には今はもうないツインタワー。
  おそらく彼女はニューヨークの空の下で愛する男性といるはず。
  圭と知り合う前に付き合っていた長年の恋人。
  圭は彼を忘れるためのかりそめの恋人にしか過ぎなかったのだ。
  身近にいて手ごろだったに過ぎない。


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続くんです。ええ。