Winter Comes Around



3.

夜の8時を過ぎているというのにもかかわらず、人通りは昼間とさほど変わらない。
  韓国の道路事情はさほど悪くはないが、日本よりも性質(たち)が悪い。
「やっぱ。アジアだな」
  圭は呟く。
  せわしなく過ぎていく車と人の流れがテレビや出張で見た東南アジアの国の様子と重なる。
  ソウルの中心地は日本以上に高層ビルが多く、高層住宅も多い。
  夕飯を食べたレストランのある江南地区は高級住宅地として韓国のセレブが揃っていると言う。昼間の異動のバスの中から見た風景も色こそ違えど、長方形の箱が並んでいるだけに見えた。
「色気のないビルだなあ」
  連なる高層住宅は皆同じ形をしている。単なる四角柱で面白みに掛ける。時折、壁にペイントが施されているビルもあったが、大体においてカラフルにペイントしているだけで、センスは感じられない。
「耐震構造とかむちゃくちゃなかんじがするよなあ」
  日本に比べて格段に地震が少ないせいでもあるのだろう。
「いわゆる摩天楼だね」
  圭が目指す明洞地区のメインストリートははビルとビルの谷間に広がっている。
  洞窟探検に行くような気分の圭には奥がどこまであるのかが分からない。
  地図を見ればそんなに広いものでないと分かるものの、初めての土地で一人で出歩くことに少し恐怖を覚えた。
  迷ったらどうしよう。
「よく考えなくても俺って方向音痴じゃなかったけ」
  圭は不安を掻き消すかのように勤めて明るく呟く。
  横断歩道を渡り、明洞のメインストリートに足を踏み入れた。
  最先端の町なのか、取り残されたどや街なのか理解に苦しむ通りだった。
  洗練されたものとそうでないものが混ざり合っている。なんとなく懐かしい感じがすると圭は思った。
「難波とか新世界とおんなじや。人でごっちゃごっちゃしとる」
  少し歩くと、目的の安いメイク用品を扱う店が数店舗目に入った。
  化粧品を扱う会社に勤めてはいても、どれがどう使われるのかは余り理解していないので、メモを店員に渡すの懸命だと考えた。
  ガイドブックに乗っているぐらいのハングルは覚えてきたが、とっさの事態に対応できるかといえばやはり、無理。圭は英語で通すことにした。
「え、えくすきゅーずみー」
  圭の口から発せられたのは、本当に外資系企業に勤めている人間かと耳を疑うような棒読み英語。しかし、対応してくれる女性は穏やかに微笑んで、流暢な英語で応対してくれた。
  考えていた以上にソウルの人々は親切でかなりフレンドリーだった。
  日本では韓国人は日本人を嫌っているとかそういう類の話をよく耳にしていたが、きっと庶民レベルではそう悪くないのではないかと思う。
  在日の幼馴染もにたようなことを言っていたっけな。
「ある年代の人の偏見が根付いているんだよ」と。
  嫌日派も嫌韓派も日本が韓国を植民地支配していた時代に生きていた人たちが中心になっているという。
  圭は自分の母親を思い浮かべた。
「ああいう人たちね」
  偏見の塊。

『これとこれね』
  店員の女性が圭が訪ねた商品を目の前に持ってきてくれた。
  ふと圭の心の中で湧き出てきた疑問。
  数あるコスメショップでは自然志向が強いのに対し、相対的に韓国の女性は化粧が濃い。
  くっきりとしたアイライン。
  女性は色が白く、綺麗に整えられた眉が目立つ。
  日本に比べると、美容整形の施術率が高く、笑い話でもなんでもなく、入学、就職など節目に美容整形を施す人が増えているという。
  店員が持ってきてくれたのはパック。英語でCucumber/胡瓜と書いてあるものや、コラーゲン、アルブチン、クロレラなどと、保湿用もの美白のものと色々と広げられた。
「男性もよく買っていかれますよ」
  やっぱり間違えられたか。
  圭は苦笑いで「僕のじゃないよ」とゼスチャー付きで否定した。
  店員はふふふと笑う。

 違う店のショッピングバッグをいくつも下げてかなり重たくなってきたところで、すべてコンパクトにたたみなおし、自分のトートバッグに仕舞い込んだ。
  そしてふと、手元の地図を見る。
  困った。
  迷った。  
「もしかしてこのあたりは店の入れ替わりは激しいのか?」
  添乗員に貰った地図の日付は一昨年だった。
  時計を見れば夜の9時。
  見つけた店から店へと足を運んだため、今自分がどこにいるか分からなくなってしまっていた。
「やってしまった」
『お前は絶対ハーネスがいるよな』
  中のよい友人たちは圭の方向音痴具合を犬の様に例えた。
  集団でどこかに行くときは必ず仲のよい友達の鞄の端や、服の裾などを掴んでいた。
  しかし、今の圭には仲の良い友達もつかめる袖も裾もない。
「どうしよう」
  自分の立っている場所が急に聳え立つエベレストの山頂のように思えてきた。足元を見れば自分の足の大きさしか足場が無い。
  右も左もわからない場所に取り残された。

 圭は一人通りの真ん中で途方にくれた。
  目の前に立ち並ぶビルがヒマラヤ山脈に思えて仕方が無かった。
  立ちはだかる険しい山々。

 

 


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