Winter Comes Around
4.
※『』はハングルだと思ってください。
『利宏(リグェン)!』
背の高い男の後ろを幾分か小柄な灰色のスーツを着た男が追いかけている。
「うるせーなー」
利宏(リグェン)と呼ばれた男は日本語で毒づいていた。通りを歩く人が振り向き、指を差してくが、そんなことに慣れているのか、無視を決込み灰色のスーツの男を引き離していく。
「俺の休暇はどこに言ったんだ」
本来ならば一週間のお忍び帰国とビザ申請をするはずだった。
「日本での仕事を取ってくるなと言っただろうが!」
『日本語で怒鳴らないでよ、何を言ってるのかわからないじゃない』
だから日本語で怒鳴ってるんだよ。と利宏は小さな声で毒づく。
灰色のスーツを着た男は利宏とさほど代わらない背丈と、筋肉質の体躯をしているが、言動が少し女性的で見た目と内面のギャップが激しい。
『日本での仕事を入れるなっていっておいただろうが』
『しかたないでしょ、君の人気が上がってきてどうしようもなかったんだから』
『よりにもよって【ファンミーティング】ってよ!』
『なに?一緒に行くほかの俳優たちのことが気に入らないわけ?』
『違う!』
『ならいいじゃない。ギャラもいいんだし』
「ギャラの問題じゃねーよ」
『あなたはもう、アジアでスターの階段を上っているのよ、十年昔のような日本でだけ売れないアジアスターじゃなくなっているのよ』
『俺がスタア?』
『そうよ、あなたは紛れもなくスターだわ』
マネージャは恍惚の表情で『スター』を連呼する。
『Oh My God…』
利宏は頭を抱えた。
日本での仕事は極力避けてきた。
オファーがなかった訳じゃない。
故郷での仕事は避けたかった。
『ドタキャンさせてくれ』
『だめ』
『日本での仕事を入れるなって言ってあっただろう!契約違反だ!』
『日本でのお仕事が今一番ギャラがいいのよ!ファンを大事にしなきゃ』
『胡散くせーなー日頃アレだけ日本人を毛嫌いしてるくせによっ!』
『「お客様は神様」って言うんでしょ、じゃあ、大事にしなくっちゃ』
マネージャーは利宏の手を引っ張り、プリントアウトされた予定表を握らせた。
紙に書かれた内容を見て利宏の表情は一層きつくなった。
『何だこれ』
利宏に鋭い眼光でぎろりとマネージャを睨んだ。
『予定よ』
『そりゃ見たら判るが…』
きつい目で睨まれていてもマネージャは動じもせず、利宏を上目遣いで見つめた。
『俺は、いつでも辞めてもいいんだ。今回のように無理やり、それも契約違反と判っているのにも関わらず仕事を押し付ける気ならすっぱりと辞めてやる』
『そんな…』
『当然だろう』
利宏はうなだれるマネージャーを残して一人で町の喧騒に消えた。
「ほんまに腹立つ。契約したこと覆すのは国民性か?え?」
日本語で文句を言い続ける利宏に通り過ぎていく人たちは視線を投げかけるが、当の本には一向に気にする事もなく、大股で街を闊歩する。
「なあにが『日本人はいいよねえ、兵役がなくて』だ。いやだったら国でりゃいいじゃねえかよ。俺だって好き好んで日本に生まれたんやないっちゅーねん。ああ、くそっ」
韓国の芸能界では兵役を済ませたかどうかでキャリアに傷かがつくかどうかが決まる。何年か前に絶頂期のスター俳優が病気を偽って兵役を逃れた事が話題になっていた。年齢で引っかからないうちに兵役についた俳優もいたが、多くはあいまいにやり過ごしている中、若手俳優の間では兵役を終了していることがステイタスになっていた。
「生まれるンやったら、アメリカとかの方がええに決まってるやないか。あーけったくそわるいっ」
関西弁でもかなりの乱暴な口調でぼやきまくり、最後にため息と一緒に出た言葉が「単車、乗りたいなぁ」だった。
日本においてきた愛車。
利宏はグリップを握る真似をした。
飛ばしたいなあ。
毎朝バイクで職場に通っていた頃はそこそこ楽しかった。
仕事もまあ普通にやりがいもあったし。
利宏が高等専門学校卒業後、外資系の会社に就職をし、通勤には単車を利用していた。競争も激しい外資系ではあったが、社員の一人一人がのびのびと仕事をしていたように思う。
日がな一日ラボにこもり、分析することもあった。
同期入社の人間たちでよく飲みに行ったりもした。
同期の仲間たちとは、たまにメールなどで連絡を取るが、ここ二年ほどは簡単に日本に帰ることが出来なくなった事もあり、メールの回数は減ってきていたが、利宏が映画に出たり、出演していたドラマが日本で放映された時にはメールや国際電話などでやり取りをした。
何十回とため息をついたのだろうか。
ふと気がつけば明洞(ミョンドン)の中心部に来ていた。すぐそこには行きつけのバーがあり、人通りの激しい明洞野中にありながら、あまり人の目に触れない場所にある隠れ家的なバーである。
扉を開けようとしたときに視界にちらりと移ったものが気になった。
地図を広げ、立ち並ぶビルを見上げて途方にくれている少年がいた。
「迷ってるんかな」
途方に暮れる少年の姿が6年前の自分とだぶって見えた。
利宏もまた始めて自分のルーツでもある韓国を訪れ、物見遊山で出かけたこの明洞で迷い、右も左もわからないままこのバーを見つけ、扉を開けたのだ。運良くも親切なバーのマスターは流暢な日本語で利宏に話しかけ、手書きの地図を書き道を教えてくれたのだ。それ以来の常連となった。
日本語で愚痴をこぼしたくなったときなどに扉を開け、酒を飲む。
利宏は韓国で人目を気にせず酒が飲めるこのバーのことをマネージャーにも知らせていない。唯一ともいえるプライベートな時間が持てる静かなこの空間を、けたたましいマネージャーに邪魔させるわけには行かないと死守している。
この店の前で途方に暮れている少年を見過ごすことは出来ず、利宏はハングルで声を掛けてみたが、少年は困ったふうに笑うだけだった。
「じゃあ、英語か」
同じ風貌をしていても韓国人とは限らないし、日本人とも限らない。ため息混じりに呟くと、暗く落ち込んでいた少年の顔が花開いたような笑顔になった。
「に、日本語でお願いします!」
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