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慎也がこの常夏の国の小さな国に来て5年になる。最初は家族全員で父親の赴任先に来て移り住んだ。それから4年、父親が次の赴任地に慎也以外の家族で赴き、彼はそのままインターナショナルスクールのシニアを卒業するまで残ることになった。
家族が去って『社会=ニセモノ』の住人たちの目が冷たくなった頃、死んだ大切な人に『このままここに残ったほうがよいのだろうか、家族とともに行けばよかったのだろうか』と相談したとき、彼は『どちらでもお前の決断だ。まだ未成年だから俺たちにはどうしようもないよ』はっきりと強い口調で慎也の頭を撫でながら言った。
自分たちは友人なのか、それ以上なのか判別はつかない関係ではあったが、得がたい友人であり、何よりも近くにいる人間だった。慎也自身彼に対する気持ちが何なのかわからなかったが、この関係のままこの国を去ることができなかった。
彼の気持ちを聞いたことはない。
だけど、親友であることは代わりがなかった。
夏休みの近いある日、慎也が教室の窓際で頬杖ついてグラウンドを眺めていたら、背後から声を掛けられた。
「スタジオには行かないのか」
「ん」
慎也は力なく頷いた。
「そういやお前、引っ越すんだってな」
慎也より幾分健康的に陽に焼けて比較的がっちりとした体格の少年が隣に座った。
「あそこは居辛い」
「まあ、そうだな」
「いつまでも親父の会社に住むわけには行かないし、それに広すぎるしな。せやからトア・パヨあたりの安いアパートでも借りて、誰かとシェアするつもりや」
「勝手なもんだな、おまえの親父さんたちがいたときはこれもかってぐらいに媚ってたくせに、いざお前だけになると手のひらを返したように態度変えたものな」
「それが大人の事情って奴や」慎也はため息混じりに笑う。
「なあ、気分転換に旅にでも出たらどうだ?」
「旅?」首をかしげる慎也に少年は「そう、旅だ」と笑う。
「気晴らしに青い海なんてどうだ?」
夕日を背に野比をする少年。考え込んでいる慎也。
旅か、いいかもしれないな。
夏休みに父の赴任地であるタイいくと約束をしている。そのついでに気晴らしの旅行が少し慎也の気持ちを浮上させてくれれば。
幸いにも禁止されているアルバイトでためたお金と、両親からの仕送りがあるので、長い夏休み、2週間くらい『現実逃避』してもかまわないだろう。そして、この気持ちにけりをつける上でも。
「気晴らしか」
「そうだ、お前は疲れすぎている」少年は慎也の背中をぽんぽんと軽く叩いた。
7月に入ってすぐに慎也はシンガポールとマレーシアを結ぶジョホールバルー水道歩道を歩いていた。
足で国境を越える。
日本では絶対にできない事である。
線が引いているわけでもないが国境は歴然と見分けがつく。
きれいに舗装されているのがシンガポール。
そうでないのがマレーシア。
だけども、マレーシアは今から発展していこうとしている国である。
前には未来。
後ろには逃げたくなるような現実。
地図を片手に、色あせたビンテージデニムに履き潰した薄汚れたDr.Martinと白いシャツ。
一歩一歩踏みしめながら国境を越える。思い現実を背中にまっすぐに前を見据えた瞳は未来を見ていた。
慎也がシンガポールを出て三日目のこと。ジョホールバルーでマレー鉄道に乗り込み、クアラルンプールに到着した慎也はクアラルンプール付近の小さな町の片隅にある公園と呼べるかどうかの広場で、ジョン・レノンのイマジンやニルソンのウィザウト・ユーなどを歌い、ブルースなどを弾いたり、ブルースハープとギターで弾き語りなどをしていた。そこでは慎也の奏でるメロディに合わせて歌い出す者や、歌にあわせて体をゆすってリズムを取ったり、口笛を吹く者がいたり、何も聞こえないかのように通り過ぎて行く者もいた。
が、すべての音が一瞬にして消えた。
慎也も自らハープを傍らに置き、静寂に身を任せた。
夕方の礼拝をするためにモスクへと急ぐ人々。
やがてマスクの鐘が時を告げるとモスクに赴くことができない人々はモスクを模している小さなカーペットを地面に敷き、聖地メッカの方向を向き傅きコーランを唱え始めた。
街中にコーランが響く。
圧倒されている慎也の視界に一人の中国系と伺える年配の女性が入ってきた。
「做著什麼?(何をしているの?)」
微笑みながらゆっくりとやわらかいふくよかな女性独特の響きの声で話し掛けてきたが、慎也は一瞬きょとんとした表情になり、すぐに自分の知っている中国語、それも台湾出身の学校の友人に教えてもらった正しいかどうか定かではない中国語で返した。
「我是日本人。中文不能?(私は日本人です。中国語は話せません)」
愼也は自分が日本人であることをはっきり言っていいものか迷ったが、言葉を音で丸暗記していたせいか、どの部分が"日本人"という意味の言葉なのかが判らなかったので、愼也は一気に言ってしまった。
しまったなぁ。そんな顔をしている愼也に老婦人は手を叩いて、
「Are you a Japanese?」(日本人?)
と優しい笑顔で愼也にたずね、愼也が頷くと彼女は「どこかにお泊りですか」と、少し怪しいイントネイションの日本語で愼也に話し掛けてきた。
愼也は目を丸くさせ、「日本語が判るんですか」と聞いた。
「はい。昔、少し習いました」
そして初老の婦人は愼也に、泊まるところが決まっているのかと聞き、愼也が決まっていないと返事をしたところ、「私の家に来ますか」と、半ば強引に愼也の腕を引っ張った。
愼也にはこの人のよさそうなふくよかな老婦人が悪い人には見えなかったので、婦人に腕を引っ張られるがままについていった。
広場から数十分の所に婦人の家はあった。
婦人の家は家というより、屋敷と呼ぶ方がふさわしいほど大きな洋館が愼也の目の前にあった。
絵に描いたような洋館の中へ、主人である老婦人に導かれて足を踏み入れた。
ふくよかな婦人が歩く度に床が軋る音がした。
きれいに磨かれた調度品、広いホール。
静まりかえった屋敷のなか、人の気配が愼也は感じ取れなかった。
愼也は応接間へ案内されて、婦人が食事の用意をしている間中、部屋のなかをうろついていた。
静かすぎる。
愼也は閑寂とした空気のなかで、埃一つ舞いそうにもない静寂に対して少し苛立ちを覚えていた。
「他に誰か住んでいないのかな」と、目の前にあるアップライトピアノの上に置かれた幾つもの写真立てに目が止まった。
セピア色に色褪せた写真。婦人の若かりし頃の物だろうと思えるポートレイト。
家族全員の写真もある。しかし、この広い家には写真の家族はいなかった。
この静かな空間で婦人は何を考えながら、日々を過ごしているのだろうか。この襲いかかる静寂のなかで。
愼也は自分が一人でいる今を考えた。
愼也は婦人の家族の写真を手に取り、それを見つめた。
セピア色のなかに、日溜まりが見える。
「お待たせしました。さぁ、どうぞ」
写真を見つめていた愼也は背後から不意に婦人が声をかけてきたので、写真立てを落としそうになって慌てた。
「おっとと」
埃が舞う。
写真立てをピアノの上に戻し、食事の用意されたテーブルの方を見る。色鮮やかな中華料理からは、立ち籠める湯気と美味しそうな匂いがしてきた。
「泊まるところを提供してもらって、この上、食事まで用意して…」
頭を掻きながら一礼する愼也に、婦人は「気にしないで」と、言って小皿に愼也の分の料理を取り分けて薦めた。
旅行に出る前も、出てからも、ろくな食生活を送っておらず、もっぱらインスタント食品、スナック菓子、酒、ファーストフードやホーカーのお世話になっていた。ましな食事の時はといえばアルバイト先での食事のみ。そんな愼也にとって、この日の夕食は数週間ぶりのまともな食事になった。
「眺めてないで、沢山食べてください」
あやうい発音ながらも流暢な日本語で話す婦人。
愼也は「沢山食べてください」と言われて、今までまともに食事を取らなかったせいか、いつもより食物を口に運ぶスピードが速くなっていた。
「細い人はたくさん食べる」
婦人は少々強引に空になった愼也の取り皿に、新しい料理を盛った。
「どうも」
ちらりと愼也が婦人の方を見ると、婦人が全然料理に手を付けていないことに気が付いた。婦人は愼也が食べる姿を頬杖ついて見ているだけだった。
妙に視線を感じるな。と愼也は婦人の視線を気にしていた。
「食べないんですか」
自分ばかり食べているのは何だか気が引けるから、愼也は婦人に聞いてみたが、婦人は食欲がないから、気にせずに食べろ。というと、また頬杖ついて、愼也の事を見つめた。愼也を見つめる婦人の目に涙が滲んでいた。
「どうかしましたか」
箸を置き、婦人に尋ねる。
「なんでもありません」
そう言いながら婦人は愼也に食事を薦めるが、流れてくる涙を何回も拭っていた。
「食べてください。気にしないで食べてください」
婦人は泣きながら微笑んで、愼也に食事を薦めた。
「あ、あの、僕、お腹いっぱいになりました。残すのは少し気が引けるんですけど、胃の中に収まるだけ収まった感じがするんで、この位でごちそうさまにしたいんですけど」
愼也は箸を置いて、両手を合せて「ごちそうさま」と言った。
「お茶でも入れましょうか」
婦人は席を立ち、食器類を台所の流しの方に運び、お茶を入れるための湯を沸かしている間、食器を洗っていた。
「手伝いましょうか」
愼也が婦人の後ろから声をかけた。
「お客さまはごゆっくりしていてください」
婦人は愼也をリビングに追いやった。
ソファに座っていても落ち着かず、立ったり座ったり、窓辺に行ってみたり、愼也はうろうろしていた。
何年も蓋をされている黒いアップライトピアノ。
その上に置かれている色褪せた写真たち。
セピア色のなかで微笑んでいる人たち。
婦人が幸せだった頃。
この広い家に明るい日差しが射していた頃。
「お茶が入りましたけど」
湯気の出てる湯呑みを盆にのせて婦人がリビングに入ってきた。
婦人はカウチテーブルに湯呑みを置き、ソファに腰をおろし、アップライトピアノの上に置かれた写真立てを眺めた。
セピア色の風景のなかで微笑んでいる思い出の人たち。
遠い目をした婦人を、愼也は湯呑みのお茶をすすりながら見る。婦人の目からは
さっきと同じ涙が溢れていた。そして、婦人は蚊の泣くような声でぽつり、ぽつりと零すように話し始めた。
「…5年前に死んだ息子にあなたが似ているから、あなたを見かけたとき、息子が帰ってきたような気がして…。死んだ息子、景?に、あなた似ているの。そこに、この家を後ろに写した写真があるでしょう」
婦人は立ち上がり、ピアノの方にいき、上に置いてある幾つかの写真立てのなかで、この家にきて一番最初に手にとって、見た写真であった。
セピア色のモノクロの写真。
色あせたカラーの何気ない普通の家族の写真。
この洋館を後ろに、赤ん坊を抱いて微笑んでいる今より少し若い婦人と、婦人の傍らには日焼けした厳しい表情の婦人の夫らしき男性と、若い男女と女の子と犬が写っているが、婦人の言う愼也に似ていると息子の顔は写真が小さくて、はっきりと判らない。
「あなたが抱いているのはお孫さんですか」
愼也は写真の婦人を示した。
「はい。こっちの女の子も孫です」
「かわいいですね」
婦人は愼也の言葉に切なげな笑顔で、「ええ、とても可愛かったです」と答えた。
婦人の過去形の答えに、愼也は家族の事を聞いても良かったのかと心配した。が、愼也が何も言わずにいると、婦人は再び語り始めた。
5年前、景?夫婦はシンガポールからこの家に里帰りしてきて、シンガポールへの帰途、電車の事故に合い帰らぬ人々となった。先刻までこの家で、笑い、話し、呼吸していたのに、別れてほんの数時間の後に伝わってきたのが、息子夫婦の事故死という悲報であった。そして、2年前に彼女の夫も帰らぬ人となってしまった。
ゆっくりと丁寧な日本語で婦人は愼也に淡々と語っていった。
愼也はセピア色に色褪せた家族の写真を見て、家族に囲まれ幸せそうに微笑んでいる婦人と、今のひっそりと幸せの脱け殻に住んでいる婦人を見比べていた。
人間って、一人ででも生きていける生き物なのだろうか。
一人、この広い閑散とした洋館で家族がいた時を思いながら、一人で生きているのだろうか。愼也は婦人を「強い」と思った。
「強いですね」
愼也が婦人にそう言うと、婦人は「そんな事はないですよ。」と手を振って否定した。「夫を亡くして、一人になってからというもの、人生ひねて生きていましたからね。あなたに逢わなかったらずっと、この先ずっと、ひねて、ひねくれて一人で死んでいく運命だったと思いますよ」
涙を流しながら愼也の顔に触れる婦人。
「あなたを見ていると他人という気がしない。息子に似ているという事もありますが、全然何のつながりもない他人でも、似ていると、生まれ代わりとでも言いますか、そのう、同じ魂かもしれないと思ってしまうんです。自分勝手な考えかも知れませんが、あなたに逢えたことをそう考えると、本当に他人のような気がしないです」
涙する婦人に口元や鼻や目を触られ、少し擽ったがる愼也。
「そんなに似てますか」
「ええ、息子の生まれ代わりかと思うほど」
家族の写真立てから別の写真を取り出し、それを愼也に渡した。
セピア色のスナップには目元口元、輪郭が愼也に似ている青年が風に吹かれて微笑んでいた。
「自分で言うのも変だけど、似てますね」
なぜか、愼也はてれくさかった。
自分に似ている青年、二才か三才ぐらい年上であるが、男前であった。
その夜、二人は遅くまで色々な話をした。日本の事、マレーシアの事、自分たちの事。 二人がそれぞれの床に就いたのは真夜中を過ぎた2時頃であった。
愼也は二日間、婦人の家で世話になり、三日目の昼頃にクアラルンプールへと向かうバスにのった。愼也が出発する前に婦人は住所と弁当と、ペナン島の或るホテルのオーナーが知り合いだからといって紹介状のようなものを愼也に渡した。
「縁があったら、また、逢いましょう。マレーシアに来る事があったら必ず連絡くださいね。お待ちしてます」
愼也の手を握り、一筋の涙を流した。
「息子が帰ってきたようでした。ありがとう。謝々」
「お礼を言うのは僕の方です。謝々」
愼也が深々とお辞儀とお礼を言うと、婦人は「不謝、不謝」と何度も言った。
「そろそろ時間なんで、三日間ありがとうございました。シンガポールに帰ったら手紙書きます。じゃ、身体に気を付けて」
門を出る愼也を見送る婦人。
門から少し離れたところで、愼也は婦人に向かって手を振った。
胸に残る切ない思いを抱えて愼也はクアラルンプールに近い街を後にした。
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