眩闇
Brightness and Darkness
--You are the only that t have really loved and wanted--



アパートメントのエントランスには大柄なドアマンが慇懃に礼をし、ドアを開ける。
 火村はドアマンに「サンキュ」と短く礼を言う。
 エレベーターの到着のささやかな音が聞こえる。高層のアパートメントなだけに、高速のエレベーターとは言っても待つ時間が勿体無い。タイミングよく来たエレベーターに乗ろうと足早に駆け寄る。
 エグゼブティブ達が多く住む高級アパートメント。日本でいうところのオクション。
 高層マンションの連なる地域。
 日本で住んでいるところとは大違いだな。
 火村はエレベーターの中で、手摺に持たれ降りかかる重力を感じながら火を付けずに、キャメルを咥える。
 日本にいた頃は口五月蝿い相棒が事ある毎に咥えタバコを咎められ、取り上げられていたことを思い出す。ハスキーで、自分よりも幾分か高めの声。

『行儀悪いやっちゃな』

「ふ……」
 忘れられないものだな。
 自分の勝手で傷つけ、断ち切ろうとまでしているのに。
 いつも思い出してしまう。
 考えてしまう。
 大切な思い出と、温もりを。
 
 チンッと微かな音が希望階の到着を告げる。
 エレベーターの扉が開き、最上階である扉にかぎを差し込み開けようとすると、重厚な扉がまるで自動扉のように開いた。
プラチナブロンドのナイトガウンを纏った男が火村を迎え入れた。
 上着を脱ごうとする火村を後ろから抱きしめ首筋にキスを仕掛け、「宿代を払ってもらわないとな」と男は火村のシャープな顎をつかむ。 
 男が火村のシャツ前をくつろがせ、あらわになった胸元に愛撫を施すが、火村は男にされるがままにキスを受け、背筋や胸元の愛撫を甘んじて受けるが、自分からは応じないように、与えないように、そして、男に送る視線は酷く残酷で冷たく、逸らされた瞳は闇を写したまま空を彷徨う。

 男によって与えられる愛撫に、何も感じない火村は、「無駄だよ」と、見を捩り男の身体から離れようとし、「俺はもう誰を抱いても、誰に抱かれても感じない。それでもいいのか」と、剣呑に光る瞳が男を睨みつけ、火村の男を慰撫していた男の手を引き離し、自身も男から離れた。
「それに、前にも言ったよな。俺ではあんたの相手にはならないと。それでも良いとあんたが言ったからこの部屋に来たが、やはり出なきゃならないようだな」と、すばやく解かれずにずっと定位置にあったアタッシュケースと、ボストンバッグを手にし、上着を取った。
「出て行くのか」
「宿代が払えそうにないんでね」 
男はすばやい火村の行動に目をしばたたかせるが、溜息を一つ零し苦笑い混じりに「やはり…君は誰のものにはならないのだな」と、愛し気に両手で火村の頬に触れ、形のよい薄い唇をなぞる。
男のやさしい手が切ない。
その手に癒されたこともあったが、自分が求めるのはこの手ではない。
「俺は、俺のものだ」
そう、誰のものではないが、誰かのものになりたいと切望している。
それは、渇望という名の独占欲。
「世話になったな」
 火村は扉を開け、「俺宛の電話があったら、ここにはもういないと」電話のほうに視線をやり、男に最後の口付けをした。触れるか触れないか掠めるような切ないキスを残し、鍵を男に返して扉を閉めた。
 


「さあて、レオーニのところにでも転がり込もうか」と、アパートメントのエントランスを出て表通り出て、タクシーを呼び止める。
 深夜にしては車の行き来が多く、タクシーも比較的簡単に捕まえることが出来た。
行き先を黒人の北部訛りの運転手に告げた。
 さっき別れたばかりの友人の部屋に転がり込む。
 快く居候させてくれれば良いが…と、火村は流れる夜の風景に目を向ける。
「お客さん?何処からきたんだい」と気さくに話し掛けてくる運転手。
「ん?ああ、来たんじゃないよ、帰ってきたんだ」と答える。そして、日本語で逃げ帰ってきたんだ。と呟く。
「へぇ…何処の国から帰ってきたんだい?こんな商売してるとね、いろんな国の人が乗るんだよ、で、たまにその国のコインを貰ったりするんだけど、兄さんも持ってないかい?」と、運転手は勝手に話を進めて行く。「いやね、この仕事について初めて乗せたお客さんに貰って以来の癖と言うか、なんと言っていいかわかんないけど、集めてるんだ。今じゃ、25カ国のコインが集まったよ」と、運転しながらさまざまなコインの入ったボトルを火村に見せる。
 その中にはタイのバーツや同じドルの貨幣であるシンガポールドル、カナダドルなども入っている。
「この中でも、お気に入りは穴の開いたコインだね」と皮ひもに通され首にかけられた一枚の金色の5円玉を見せた。
「日本円だな」と言うと、運転手は「そうかい!兄さんあんた日本人か!」といって「お願いがあるんだ。銀色の穴のあいたコインを持っていないか?」と聞いてきた。
「悪いが持ってないんだ。これで我慢してくれ」と、自分のズボンのポケットに入っていた日本の小銭何枚かを差し出した。そこにはアルミの貨幣とニッケルの大きめのコインが載っていた。
「これは始めてみるコインだ」と言ってニッケルのコインを嬉しそうに受け取り、「兄さん、ついたよ」と車を止めた。
「8ドル25セントだけど、8ドルで良いや、これを貰ったしな」とコインを見せる。
 火村はさっきと同じようにポケットをまさぐる。が、出てきたのはしわくちゃの10ドル札と、1ドル冊数枚。
「これしかない」と10ドル札を渡すと、運転手は2ドルをコインで火村に渡す。   
「縁があったら、また載ってくれな」と、タクシーは走り去っていった。
 
 25セント負けてもらっても、500円渡したんだ。5ドル余分に取られたようなもんだな。 と、一人で笑う。 

 火村はレオーニのアパートメントのブザーを鳴らした。


レオーニは理由を聞かずに、火村を快く招き入れてくれた。
「悪いな」と言いながらリビングに荷物を置く。
「追い出されたか」と、笑いながら毛布を運んできた。
「あぁ、追い出された。宿代払えないんなら出て行けとな」
 上着を脱ぎ、レオーニの差し出したスウェットを受け取り、ボストンバッグの中をまさぐりだした。ずっと解かれずにいた大きめのボストンバッグ。几帳面に畳まれたシャツなどが出てくる。
「言っておくが、俺んちの宿代も高いぜ?」そう言って気障にウィンクするレオーニ。
「テンフォー(了解)ボス」と火村は右手を額におどけて敬礼をし、口笛を吹きながらバスルームへと消えた。
 シャワーの音と共に聞こえてくるのはThe Rolling Stones 『Sympathy For The Devil』。
 リビングに残されたレオーニは溜息交じりに、「あの男は遠慮と言うものを知らないのか?『遠慮』と『察し』は日本人の得意技なのになあ…」と零す。
  

「ヒム!」ソファで胎児のように丸くなって眠っていた火村を目覚めすっきりのレオーニが揺すり起こす。
 が、中々目覚める気配が無い。
 毛布を身体に巻きつけて眠る様をレオーニはミイラのようだなと思い、毛布を引き剥がそうと試みる。
 死んだように眠る火村。
 聞こえるのは静かな規則正しい寝息。
 しなやかな獣のような男。
「大きな猫を飼っている気分だ」と、溜息をこぼす。
「んあ?」と大きく伸びをする。両手を上に伸ばし、両足もソファからはみ出し、はだしの足が毛布の間から出てくる。
「やっとお目覚めか」
「便利な目覚ましだ」と、レオーニの朝の労力をねぎらう。
「丸くなって寝てたけど、もしかして寒かったか?」
「少しな」といって、首を左右に振ってくきくきと音を鳴らし、両肩を交互に回した。
 火村自身たいして寒いとは思わなかったが、やはり寒かったのだろう、無意識のうちに身体に力が入っていたようで、体中の関節が固まっていた。
「ヒム、俺は今からシャワーを浴びてくるけど、宿代ついでに朝飯用意頼んだ」と、レオーニはバスルームへ向かう。
 毛布を畳み、自分が寝ていたソファを整えた。
 

 キッチンは独身の男のわりには綺麗に整理整頓されていた。
「何処かの誰かとは大違いだな」と、掠めた愛しい人。
 
 忘れるんじゃなかったのか?

 忘れるなんて出来ない。

 胸に秘めるのは勝手だよな。

 火村は自嘲する。
「俺は馬鹿でアホなんだろうな」


 整理されているレオーニのキッチンと同じようにフリーザーも同様だった。が、整理されているというのではなく、限りなく空に近い状態であると、入っているものはビールや炭酸飲料水、チーズと、賞味期限の切れたベーコンと、いつから入っているのかわからない卵だった。
 要するに、片付いているのではなく、使った痕跡が無いという事だ。
 火村はからに近い冷蔵庫を前に呆然としていた。
「何を作れと…」
 火村は扉を開けたまま考える。乏しい食料で、何を作れとあの男は言うのだ?


 

to be continued...

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