parfum de l'autre personne






 終わった。

 これでもう苛立つ事もないし、わずらわしいことも無くなる。
 携帯が鳴り止むと同時にそのまま座り込んでしまった。
 涙が止まらない。
 声を我慢することが出来なくなってしまった。

 何で素直に言えなかったのだろう。
 
 俺は物心ついて初めて大声で泣いた。
 
 ごめんなさい。
 俺の気持ち押し付けてごめんなさい。
 本当はもっと触れてほしかった。
 本当はもっと傍にいたかった。
 本当はもっと抱いてほしかった。
 本当は『俺のもの』って言いたかった。
 本当は信じたかった。
 信じさせてほしかった。
 
「アホや俺。自分勝手なんやな」
 スーツの上着が濡れるのも気にせず流れ続ける涙を拭う。
 
 泣いてしまおう思いっきり。
 この部屋には俺一人だ。何も気にすることは無い。
 一晩泣いて明かそう。
 そして明日の朝には多少はすっきりするはず。
 腫れた目で出勤するのは気が引けるが、このまま吹っ切らないと。
 
 涙が出なくなった頃、ドアの鍵の音がした。
 ああ、そうだ、鍵を返してもらってなかったんだった。
 扉が開け放たれると、不機嫌極まりない顔の奴がいる。
「泣き止んだようだな」
「何しに!」
「来たんだよって?決まってるじゃないか、一人で泣いてるんじゃないかってな」
 乱暴に靴を脱ぎ捨てずかずかとリビングに入ってくる。
 怒っているような顔。
「うれし泣きだよ」
「じゃあ、なぜそんなに悲しそうに泣く」
 器用そうな長い指が俺の頬を撫でる。
「2年だ。たった2年だ。待てないか?」
「待てん」
「たった2年だぜ?その間に何回でも帰ってくる。お前が『帰って来い』といえばすぐにでも帰ってくる。お前のためだけに帰ってくる」
「出来ない約束をするのか?」
 欲しかった言葉。
 もうずっとほしかった言葉。
 今になってくれるなんて…
「もうあかん。2年我慢した…」
「我慢するなよ。爆発したら良いじゃねえか。いつでもどこでも」
「金輪際、お前に対してそんな気力は残っとらん」
「瓜生…」
「な、もうええやろ?俺が泣こうが何しようが勝手やほっといてんか」
 頬に添えられている手を外し、目の前にいる男を玄関のほうに押しやろうとしたが、突き飛ばされてしまった。
「!」
「な、何!」
 幸運なことにソファに突き飛ばされた俺は怒りでこぶしを震わせている男を見上げた。
「お前だけがっ!お前だけが我慢していたんじゃないっ!」 
 今にも殴りかかってきそうなほどに剣呑な光を宿した目が俺を捕らえる。
「俺を攻めることもしなければ、言い訳をする余裕も与えてはくれなかった。俺をどんな軽い男だと思ってるんだ」
 この真剣な目を信じることが出来たら…そう思っても、無理だった。
「じゃあ、なにかよ!お前の首根っこ捕まえて詰めよりゃ良かったのかよ!!」
 プライドもかなぐり捨てることが出来ればいいのだろうが、俺だって男だ。なけなしのプライドがある。
「そうだよ!殴っても良かったんだ」
「俺に女みたいに泣いてわめいて縋って…出来るわけないやろ!」
「本当に素直になってはくれないんだな」寂しげな笑顔。
「もうあかん」俺はこいつの顔が見たくなくって横を向く。
 ソファの背もたれに拳を振り落とす。
「くっそ・・・」
「いつやったかな、お前ンとこの会社に用事があってな、行ったんや。用事済まして受付でお前んこと呼び出してもらおうと思ったら、お前が通りかかった。呼び止めようとしたら、隣には女や」
「同僚だよ」
「かもな。でも、お前は女がしなだれかかっても嫌がりもせん。腕に巻きつかれるがままに笑っとった。そらまあ、そうやわな、お前ノンケやもん。覚えのある残り香が漂う取ったわ。あかんねん。はきけがすんねん。お前の車に乗っても家に行っても。あの手の匂いがすんねん。最初は仕事が仕事だけにしゃあないと思っとったけど、もうあかん」
「アレは…女が勝手に…それに、俺に仕事やめろというのか?」
「そんなことや無い。仕事がどうのこうのやないねん。お前があの匂いさせとるだけでも我慢できんのや。せやから、もうあかん」
「瓜生…」
「それに、大分前やったけど、お前ん家でお前と、知らん女がすっぽんポンで抱き合っとるとこ見たことあるし。ちょっとつまみ食いしたと思って忘れよ?な?お前はかわいそうなホモ野郎に同情しただけや」
 目撃したときは足がすくんで動けなかった。あの時はどうやってあの部屋を出たのかも分からない。覚えているのは獣になっていた二人の息遣いだけだった。
「俺には言い訳する資格も無いんだな」ため息混じりに力なく笑っているが、指の色が変わるくらいにこぶしに力がこもってるのが分かる。
「俺が付き合ってって言ってすぐの頃だけどな」何フォローしてんだか。
「俺はお前が分からなくなってお前の本音を引き出そうと、色々と画策した。だけどな、俺だって我慢した。『好き』も言ってくれない恋人。何も欲しがらない恋人。わがままを言わない恋人にどうやって繋ぎとめておくことが出来るか。俺だって悩んださ。あの香水をくれた時は最高にうれしかったさ。一緒のベッドで目覚めたときも、お前の寝顔を見れたときもうれしかった。だけど、お前の顔はどんどん固くなっていった。無表情で。俺のそばでは笑ってくれなくなっていった」
 両手で顔を覆い、泣いているように見える。
「笑えるわけない…」
「でも、俺はお前と別れたくない」
「勘弁してくれ」
 あんな惨めな思いはしたくない。
「頼む、これ以上惨めになりたない」
 枯れたはずの涙がぼろぼろと落ちる。
「なあ、俺のことまだ好きなんだろう?だから泣くんだろう?俺はこのままお前を、この手を離したくは無いんだ」そう言って俺の手を握り締める。
「お前のところに帰ってくるから。お前が望めばいつでも飛んで帰ってくる」
「無理だよ」
「無理じゃない」
「無理しなくていいよ。俺は重荷になりたくない」
「重荷じゃねえよ。俺がそうしたいんだ」
「やめてくれ。今度、裏切られたら、俺はもう立ち直られん。お前も誰も信じられなくなる。守れそうに無い公約はせんほうがええ。そんなことつるんは総理大臣だけで十分や」
 ソファに座る俺の前にひざで立っている。目線は同じ。見たことも無い真剣なまなざしが痛い。
「お前が、このくらいの大きさになって、そしたらどこに行くのにも一緒何な」と胸ポケットのタバコの箱を取り出す。
「俺はペットやない」
「そうだな。第一こんなに小さかったら抱きしめられないもんな」
 俺を痛いほどに抱きしめてきた。
 欲しかった腕。
 俺より少し広い肩幅。
 女の匂いがしないこいつの匂い。
 最後だ。最後。
 腕を回したいけど、回せない。
「ばいばい」
 体を引き離し、涙を溜めたままだけど、笑ってみた。

 いってらっしゃい。

 ぬくもりが離れていく。
 静かに立ち上がり、最後の口付けを残して奴は安アパートの俺ん家の壁に八つ当たりして出て行った。
 がつっと鈍い音がした。
 扉も乱暴に閉められた。
 家が軋んで悲鳴を上げる。
 足音が遠ざかる。
 今度こそ終わり。

 やっとやっと、終わり。
 あいつなりに俺を好きでいてくれたんならそれでいいや。
 良しとしとこう。

 ばいばい。

 元気でな。

 出世しろな。





 

続く。  

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こんなに長くなるはずじゃなかったのにい。続いちゃった。

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