parfum de l'autre personne



「仕事…」
 情けなくもぽろぽろと涙を流し、つかんでいる腕に力を込める。
「仕事?」
 俺の言葉の意味が分からないと怪訝な顔で首をかしげている。
「返して…れ」
「仕事?」
「お前がっ!お前が女のにおいさせてくるたびに、嗅覚が減って行って、挙句の果てには生花の香りすら受け付けんようになった…人の体臭が充満している電車に乗っても、香水付けすぎのお姉ちゃんがいてる店に行っても、わからんようになってしもうた。たまににおいを感じても、強烈に嫌なにおいにしかならへん…」
「瓜生…」
 大きな手が俺の背中を撫でる。
 やさしくやさしく。
「う…」
「なあ、俺を許してはくれないか?」
 ぎゅっと俺を抱きしめる。
 匂いはまったく感じない。
 だけど、恋しかった。
 この温もりが恋しかった。
 俺は抱かれるがままに顔をうずめ、泣いていた。
「勝手な言い分だってのは十分分かってる。向こうでの2ヶ月間ずっと考えてた。たった2ヶ月だけどお前が傍に居ないことの重要さを痛感した」
 耳元で囁く声に俺は何も答えられない。 
「どんなに魅力的な女に言い寄られても何にも感じなくなった。お前が好きだった香りがするとたまらなくお前が恋しくなった。それこそ薔薇の香り。旨そうな桃のにおい。グレープフルーツ、鈴蘭、キャラメルのにおい…コーヒーの香り、心地よい香りの全部がお前のにおいなんだよ」
 切ない声が俺の上から降ってくる。
 首筋に囁く唇の動きと熱を感じ、じんわりとこいつの匂いが俺を包んでいるだなと、微かなにおいを感じれるようになった。
「俺の嗅覚、お前が取ったんやな」
 まるで俺が何も感じなくなった代わりにこいつがすべての香りを感じていた。
「泣き止んでくれ。お前の泣き顔見たくねえんだよ]
 へたり込んでいた俺を抱え上げ、「お前、やせすぎ…」と呟き、ソファに俺を座らせた。
「散々俺が泣かしてきたのにな、いまはお前の泣き顔なんて見たくない」
 涙と鼻水ででろでろの顔をした俺のためにお湯でぬらしたタオルを持ってきてくれた。
 スイート専用だろうか。頬にやわらかい上質の手触りのタオルが当てられた。
「吐き気は無くなったか?」
 こくん。
「物は食えそうか?」
 ううん。
 お腹すいてへん。
「食え。リゾット頼んでやるから」
 こくん。
「やっぱ、素直なお前は可愛い。俺がお前をヒネた奴にさせてたんだな」
 備え付けの紅茶を入れてくれている。
 この男にこんなに優しくされたのって初めてだなと思って笑うと、「お前に優しい俺が珍しいんだろう」
 当たり前やないか。
「2ヶ月間反省したんだよ。お前と連絡が取れなくなって初めてお前を大事にしてなかったなって思った。何をしても俺の傍に居る。お前は変わらない。お前の寛大さに甘えてたんだよ…俺もバカだよな」
 マグカップをカウチテーブルに置く。
「俺が辛抱できんかったんや。お前がどんな奴かって嫌って程知っていたはずやのに…多くを望んだらあかんかったのに…最後には俺んとこ戻ってきてくれるんやって思い込んでた…」
 俺は俯き、またも涙を落としていた。
「戻って来てくれるだけで…良かったはずやのに…」
「遅くなったけど、戻ってきた」そう言って俺を抱きしめる。
「これじゃだめか?」
 相変わらず強気な奴だ。そう思う。
「お前が望むような男にはなれないか?」
「?」
「放したくない」
 俺を抱きしめる腕に力がこもる。
 込められた力の分だけ信じることが出来たら楽だろうけど、今更信じることは出来ない。
「無理や…」
「俺にチャンスもくれないのか…大事にする。泣かせたりしない」  
「無理な約束なんかせんもんや」
「無理じゃない」
「お前の性根は生まれ持ったもんや。誰彼無しに愛想振りまいて、フェロモン垂れ流して、ちやほやしてもらえたらええんやろう?あっちこっちの蜜を吸いたいんやろう?甘い人生過ごすんやろ?」
「辛辣だなあ俺ってそんなにだらしない男なんだ」
「そうや。正直に言うて俺はまだお前が好きや。けど、我慢できん」
「瓜生…」
「せやから、辞めるつもりやったのに…忘れるつもりやったのに」
 もう離れられへん。
 この手を解けない。
 ひどい裏切りを受けても俺にはこの男を思い切ることは出来ない。
 損な性分だと思う。
「俺は間に合ったんだな?」
 俺を抱きしめる腕に俺はしがみついた。俺の大好きな手を握り締める。長くてしなやかに見える指、きれいに切りそろえられた形のいい爪。
 その手を自分の頬に当てる。
 この手に触れられるのが好きだった。
「崇…」
 頬擦りしていた手が俺の顎を捉える。
「ん…」
 やさしいキス。
 触れる唇から熱が伝わる。
 角度を変え、段々と深くなる口付け。
「ふ…う…」
「だめだ、我慢できない」
 気がつけば俺の体に当たっているこのろくでもない男の本体が体積を増していた。
 ソファーに座っている俺のズボンのファスナーをキスしながら下ろしてく。
 相変わらずの手際のよさ。
 なんかムカつく。
 目の前にある趣味がいいんだか悪いだか分からないネクタイに目が行った。
「おい…」
 ムカついている俺はこいつのネクタイを締める。
「おい、殺す気か?」
「ん?」
「首絞めてる…」
「あ、いや、外そうと…」
「嘘付け、わざと絞めてるだろう」
 そう言ってネクタイを引っ張っている俺の手を外し、ネクタイを引き抜いた。
 俺のシャツのボタンを外し下着代わりのTシャツを胸元までたくし上げ、アバラを撫でる。
「アバラ浮いてる」
 あれから何キロやせたかな。
「んッ」
 指が微かな引っかかりに止まり、指の腹で撫でられたその瞬間俺は声を上げてしまった。
 左手で俺の胸元をまさぐり、右手で俺のすべてを暴こうとするかのように着ているものを起用に脱がしていく。
 俺は俺でこいつの服を脱がせようとするが、愛撫に気を取られてままならない。
「なあ、シャワーぐらい…」
「手を離したらお前は逃げてしまいそうだ」
「こんな姿でどない逃げろってんだよ、あほ」
「ま、そうだな」
 そういって俺を抱えるが、その抱え方に屈辱を感じた。
 乳児が抱っこされるような抱き方。そのまま背中をぽんぽんと
「もっとスマートに運んでくれや!」
「お、すまん」
 パンツ一丁の俺をそのままバスルームの洗面台に俺を座らせ、自分の着ていた服を脱ぎ始めた。
 無駄な肉がついていない引き締まった体。少し色が白くなったかな。
 相変わらず派手なパンツはいてるよなあ。
「派手なパンツ」
「色気ねえ台詞」
「だってそのパンツ…」趣味悪。ゼブラ柄…。
 すばやく腰にタオルを巻きつけバスルームに入っていった。
「おい、崇・・・入って来いよ」
「あ、うん…」
 バスルーム二足を踏み入れると、きれいに磨かれた大理石のタイルの床と壁、バスタブに浮かんでいるアロマキャンドル。
 窓からその風景が見える。シャワーブースと一人用サウナも付いていた。
「うわぁ」俺の腰は完全に引いていた。
 こいつが金持ちだってのは分かっていたけど、ここまで自分の身分と違う点を見せ付けられると途端に後悔が襲ってくる。
 財閥系の御曹司とまでは行かないけども、一族で祖父が会長で父親がグループ会社の社長。こいつはこいつでグループ会社のアパレルなどを扱っている部門の管理職で役付きだ。何しろ秘書を抱えるぐらいだから。
 知り合った頃は知らなかった。
 バイト先で知り合って、同じ大学の学部違いだって分かってからはお互いの下宿を行ったりきたりしていた。
 そんな頃は金持ちのかの字も無かったのだ。
「俺の部屋よか広い…」
「崇…」
 焦れたのか、立ちすくんでいる俺を引き寄せる。
 程よい温度の湯が降ってくる。
「この匂い…」
 全身くまなく濡れたところに頭からシャンプーを掛けられた。
 匂いを感じ取らなくなったはずの鼻が柔らかくさわやかなグリーンノート基調の香りが判別している。
「お前が俺にくれた匂いに近い奴だ。フランスのメーカーに作らせた自信作だぞ?」
 あの匂いと違うのはユニセックスな仕上がりなっているということだ。
「森の空気というフランス語の名前がついてるよ。在り来たりだけどな」
 グリーンのボトルを見せてくれた。
「あの香りのバスラインがほしくなったんだけど、売ってなくてな、取引先の香料会社に相談したらテストプロダクツとして作ってくれた」
 俺の頭をごしごしと洗ってくれている。
 俺がこいつに渡したのは比較的メジャーなブランドの物で数年前に人気のあったものだった。
 俺の好きだった匂い。
「お前の嗅覚も直ったみたいだな…」
「うん…」
 愛しくて仕方が無い香り。
 俺が思い描いたイメージどおりの香りだったのだ。
 自分で匂いを嗅ぎ分け、近い匂いを作り出そうとしたが、限界だった。
 これに勝に香りにはならず、失敗作がいっぱい出来上がったのだ。
 だけど、今使っているこの香りは心地よく、調和の取れている香りになっていた。
 元調香師としては悔しいが、この香りは俺の理想だった。
「俺の赴任期間はまだ残ってるけど、待ってくれるか?今の俺にはこっちの住処が無いんだ。余分なものは処分したし、あっちに持って行ってるから」
 ボトルのふたの匂いをかいで、俺は頭の中でフォーミュラ(原料の分量)を組み立てていた。 
「崇」
 呼ばれているのも気づかずに。
「たーかーし」
 ボトルを取り上げ、敏感になっている俺の乳首をいじり始めた。
「お前のことだから頭の中でこの匂いを嗅ぎ分けてるんだろう」
「ぁ・・・」
「俺に集中しろよ…それにこれのフォーミュラはお前には譲れないんだよ」
 身を捩って抵抗するが、こいつに力で勝ったことは無い。
「分かってるよ、どうせお前ンとこの会社の商品になるんだろう」
「まあ、な。あの匂いのデザイナーがこの匂いを気に入ってな、夏限定商品として出したいんだそうだ。ま、お前がくれたやつも俺の社の息がかかっているところのだったからな」
 アパレルメーカーの御曹司だもんな。
 いつも俺にサンプル品だの、限定品だのと色々くれていたもんな。
「そうなんだ」
「ま、とにかく今日は俺の言いなりになってクダサイ」
 頭からシャワーを掛けられ、バスタブに放り込まれた。 
「ぁ、足が届かん・・・」
 外人サイズのバスタブは俺には大きすぎる。
 すべりのよい琺瑯(ほうろう)はもたれた俺の体を拒絶するかのように水中に引き摺り下ろす。
 こりゃ溺れる。
「崇?」
 俺を引き上げ抱えたままバスタブに入る。
 二人で入っても大きい。
「なー泡ないやん。あのジュリアロバーツの映画の風呂みたいなンがええなあ」
 豪華だけど、ジャグジーも無ければ泡がぶくぶくなわけじゃない。
「贅沢言うな」
「俺、あのサウナ見てくる」
 背中に大きくなったものを感じながら俺は照れ隠しに一人用サウナに逃げた。
「…ったく…俺は先に上がってるからな」
 呆れながらも優しい笑顔。
「先に上がってルームサービスを待つよ」
「うん…」
 一人用のサウナは狭いがよく出来ていて、小さいけどもテレビが見れるようになっていたが、そんな余裕は無く、この後を考えると抱かれるためにはきちんときれいにしておかないといけない。そんな場面をあいつに見られるのはごめんだからとサウナを出てバスルームの入り口の鍵をそっと閉めた。
 
  
  
 

続く。  

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本当ならお風呂エッチなんだろうけどさ…