parfum de l'autre personne

8

 久しぶりに抱かれた俺は起き上がることも出来ず、大きくてやわらかいピローを抱えうつ伏せのまま恨めしい目で軽がると身を起こしたすっきりしたといわんばかりの顔の男を睨み付けた。
「こんな時にしか俺の名前を呼んでくれないんだもんな。ぜんぜん甘えてくれないし」
 指を動かすのも億劫なほどに疲労しきっている俺の横に座り、髪の毛を撫でている。
「甲斐性はあるつもりなんだけど?」
 むき出しの背中に生暖かく柔らかい物が触れている。
 肩甲骨に、背骨、うなじに優しいキスが与えられる。
「その甲斐性で浮気されるんは嫌だからな。『浮気は男の甲斐性だ!』なんて抜かしやがったら…」
 おれは自分の言ったことに対して恥ずかしすぎてピローに顔をうずめたまま。
「言ったら?」
 耳元で囁かれる。
 あちこちが痛い体のせいで首しか回せない俺は顔だけ向けて「俺も浮気してやるッ!」と大声で言ってみるが、余裕綽々なこのヤロウは「お前は浮気しない」といけしゃーしゃとぬかしやがる。
 余裕たっぷりのコイツの態度が許せない。
「お前がするんやったら、俺もするからな」
「俺がさせない」
 俺の背中に、首筋に小さなキスを落としていく。
「そんなあほな」
「お前は俺のもんなの。浮気なんてさせないからな」
 跡がつくぐらいのキスが首の付け根あたりに落とされる。
「じゃ、お前もすんなよ」
「俺の遺伝子情報に『浮気性』という塩基配列の俺に浮気をするなって言うのが無理な話だな。だけど、俺が唯一傍にいて欲しい、傍にいたいと思うのはお前だけなんだけどな」
 自分本位な言い草に俺はムカつくが、なぜか、軽口が本気だとは思えなかった。
「自分勝手なこと言うな」
「分かってるって」
「浮気はしないよ……当分」
 その間はなんなんだよ。
 俺は枕を抱えたまま横目でにらみつけてやった。
「なんやねんな、その『当分』ってのは」
「俺は寂しくなると死んじゃうの。かまってくれないと死んじゃうの」
 シーツ毎俺を抱き起こし、自分のひざの上に座らせた。
「ウサギやあるまいし」
 あほか。散々遊び散らして俺に相手されてへんかったから浮気するんか。ふざけんな。そう言ってやると、「お前が仕事にかまけてると、かまって欲しくなるし構いたくなるの。だけど、お前は見向きもしない。そんな寂しい俺はどうしたらいい?」しれっと上目使いで俺を見る。
「だからって…浮気する理由になるんか?」
「ならねえか」
 ならへんならへん。
「俺は・・・お前が女と遊んでるのを見ない振りするために仕事に没頭した…もともとノンケのお前やもん、仕方ないやん」
 この関係に多くを求めてはいけない。そう思ってきたし、女好きといってはばからないノンケ男に告白して無理やり付き合ってもらっていたようなものだったから…
 ぐるぐる考え込む俺の顔を無理やり自分に向かせ、「伊達や酔狂で男なんか抱けるかっての。好きじゃなきゃ無理だ。女でもそうだけどな」きつい口調で言い放った後強引なキスを仕掛けてきた。
「覚えとけ、今はお前だけが俺の恋人だ。多分これからも」
 きつい目で睨まれるが聞き捨てなら無い言葉を聴いた俺もにらみ返す。
「何で『多分』がつくねん」
 問い詰めてもとぼけた口調で「さあ?」としか言わない。
「お前が仕事で女性と向き合わないといけないのは知ってる。不安やった…」
「今は?」
「不安や・・・」
 ほんまに不安や。さらに不安。
「なら、俺に八つ当たりをすればいいじゃないか。我慢するために仕事ばっかりして、青白い顔するより、真っ赤になって俺を怒れ、詰れ、物を投げつけてもいい」
 いつも飲み込んでいた。
 言いたい言葉。
 だけど、我侭を言えば、なりふりかまわずに引き止め田ところで、冷たい目で冷たい言葉を吐き捨てられたらもう立ち直れない。だからいえなかった。
 俺の頬に両手を添え、じっと俺の目を見つめる。
「俺はお前に我侭を言ってほしかった。やきもちも焼いてほしかった。恩なの匂いさせて帰ってきても悲しげな顔だけ見せて何も言わなかった」
 それは俺も。「愛されてる」って」実感がほしかった。
「独占されたかった。お前はゲイが一般的ではないからという常識的考えと、俺の背景(バックグラウンド)を考えていつも控えめにしていたんだろう?そんな必要は無いんだよ。二人で居るときぐらい我侭だっていいじゃないか…」
 ぎゅっと俺を抱きしめる。
「恋人の我侭ぐらい笑って聞いてやるから」
 うん。
「恋人にやきもちやかれてうれしくない男なんていないんだし」
 まあ、せやな。
 俺もコイツにやきもち焼かせたかった。
「ほな我侭言わして?」
「ん?」
「この先2年間、お前の赴任期間が終わるまで毎月帰ってきて?おまえんち金持ちやねんから不可能やないやろ?」
「そのぐらい・・・」屁でもないと言うんやろう?あまいな。
「仕事・出張のついではゆるさへん。俺のために帰って来てや」
「・・・」
「土産なんかもどうでもええ」
 我侭すぎたんやろうか?
「なんや、その間は」
 腕組みして考え込んでいる奴。
「俺の我侭も聞いてもらおうか?」
 にやりと嫌な笑みを浮かべる。
「お前の我侭?」
「そうだ」
「・・・」
 嫌な予感。
 横目でにらみつける。
「お前こそその間はなんだよ」
 俺のいぶかしげな様子に口を尖らせている。
「・・・」
「一緒に暮らそう。一緒に部屋を借りよう」
 耳元で囁かれた。
 うれしい反面、現実を考えるとこいつの赴任期間はまだ残っている。
 いくらこいつが経営陣の一人だとはいっても、自由になるわけが無い。
「2年間も日本から離れなあかんのに何を言うてるんや」
「俺が帰ってくる部屋にお前が居てほしいんだよ」
 口を尖らせながら、まるで子供のようだ。
「お前の選ぶ贅沢なつくりの部屋は嫌や。俺は畳の部屋でせんべい布団がええんや」
 嘘。
 本当はふかふかの布団も悪くない。
 横にこいつが寝ると、俺はふよんッと高くなる感じが結構好き。
 広めのベッドで飛び跳ねるンもお約束やな。
「和室のある部屋を選ぶ」
 はだしの生活が好きなせいか、カーペットが嫌いなだけ。
「そう大理石のゴージャスなお風呂も要らん」
 広すぎる風呂は寒いからな。
 ここの風呂みたいにでかすぎるのも効率悪いし。
「じゃあ、檜風呂?」
 それは維持が大変だからと首を振る。
「普通のホーローで、心持ち広めでシャワー付き追い炊き機能付き」
「ふむふむ」
 メモを取る振りをしている。
「お天気の日には布団が干せて」
「贅沢な」
 この男でも布団を天日で干すことが贅沢だと思うんだな。
「俺でも払える家賃のところがいい」
 これだけは譲れない。
 いくらこの男が金持ちでも寄りかかるつもりはまったく無い。
 甘えたいけど、それとこれは別。
「部屋代ぐらい」
「あほ、愛人やない。俺はお前の囲われもンになるンと違う。そんなんやったら、今ここで別れる」
「そうだな」
「そうや」
「だけど、俺は恋人のお前を甘やかしたい」
「うん、甘えたる。けど、それとこれは違うやろ?俺かて男や、恋人を甘やかしたい」
「お互い譲歩しないといけないんだな」
「妥協とは違うんや」
「じゃ、俺にも譲れないところとして、寝室は一つ」
「えー」
「力いっぱい否定することないじゃないか」
「お前、寝相悪いやん」
「安心しろ、ベッドはキングサイズだ」
「キングサイズだろうが、なんだろうがお前がど真ん中で寝るのには変わりないやろう」
 どんなに広いスペースであってもこの男が真ん中に寝る限り、俺はどちらかの端っこで寝ることになる。
「じゃ、ハリウッドスタイルか?」
 何だそれ。
 俺は首をかしげた。
「シングルのベッドを二つくっつけるんだよ」
「えー真ん中にくぼみが出来てまうやん」
「俺もヤダ。だから、キングサイズな」
「まあ、ええか、トランポリン代わりや」
「ぷ」
独り言のつもりが思わず口をついて出てしまった。
「笑うなや」
「わるいわるい。そうだな、トランポリンだな」
 照れる俺の顔を見て我慢できなかったのか、爆笑し俺の頭を撫で始めた。
「二人で飛んで跳ねて遊ぼうな」
 バカにしやがった。
 悔しい。
 俺はハズカシさに枕に顔をうずめた。
「じゃ、暮らしてくれるんだな。まってくれるんだな?」
 耳元で優しい声で囁かれた。
「上向いて、俺を見てくれ」
 枕毎俺を上向きにさせるとそこには真っ赤になって照れている男がいた。
「約束はこれとこれだ」
 差し出されたのはキーリングとキーだった。
「お前が戻ってきてくれるかどうか一か八かの賭けだった」
 そう言って俺にキーを握らす。
 受け取るしかない手のひら銀色に輝くキーにはキーリングに差し込まれているリングを見つけた。
「・・・」
 はっきり言ってうれしい。
 うれしいけど、ここまでさせていいものかとも思った俺の顔は多分複雑な顔だったんだろう。
「嫌…か?」
 不安そうな表情で俺の顔を覗き込んでいる。
 言葉も出せない俺は首を横に振るだけ。
「受け取ってもらえるんだな?」
 ほっとした顔になった。
「お前は俺と違って世間を気にしなきゃいけないってのに、俺なんかにこんなんしてええのんか?」
「そうなったら俺は家を捨てる」
「そんなんあかん、お前の親父さんやお袋さんが悲しむ」
「大丈夫だ。俺の家族は大丈夫だ」
「俺は家族に呆れられている。せやけど、お前が後ろ指指されるんは…」言いかけたところで手で口をふさがれた。射すくめるような鋭い視線。
「それ以上言うなよ。言うと殴るからな。怒るからな」
「ごめん」
「お前が気にすることは分かるが、俺の親父やお袋にとやかく言われる筋合いは無いからな。それぞれに不倫や愛人囲ってたやつらに今更モラル云々といわれてもお門違いってんだ。それに兄貴もいるし、弟もいる。ああ、甥っ子たちもいるからな」
 そうだった。
 こいつの家庭は複雑というか、華やかな一家だけに何もかもが派手な付き合いが多かった。週刊誌にも取りざたされたりもしていた。
 今はやりのセレブってやつ。
 こいつの親父さんは有名女優と浮名を流し、お袋さんはお茶お花の若いお師匠んとホストクラブに現を抜かし、兄は二児の父親でありながらこいつに負けるとも劣らない遊び人ときた。弟もいるがイタリアに海外遊学中らしい。
「グレついでか?」
「まあな」
 ふふ。
 グレたついでに男の恋人…。
 なんだか笑えるよなあ。
「何笑うんだよ」ふてくされている表情が可愛いと思えてしまう。
「なんでもない」
「まあ、跡取りは兄貴ンとこのチビ二人がいるしな。安泰だよ」
 俺の手にあるキーを取り、キーリングに通していた指輪をはずした。
「だから、お前は安心して俺のものになりなさい」
 俺の左手の中指に指輪を通す。
 指輪が指に吸い付くようにぴったりだった。
「一方的な言い方すんなよなー」
 俺はうれしさの余り、自分の指にはめられた銀の指輪をライトにかざしたり、指輪をはずしたりはめたりを繰り返した。
 はずした際に指輪の内側を見ると、pt1000の刻印と『ti amo per sempre』とどこの言葉だか分からないが、彫られている。やつのイニシャルと共に。
 俺はこいつを手に入れれたのかな。
 何人もの美女をはべらせていた男を。
「本当はこの指輪はめてほしい。だけど、お前にも世間体ってものがあるだろうから無理強いはしない。持っていてくれるだけでいい」
 俺の左手にも一度指輪をはめ、その指に口付けを落とす。
「……ッ」
「また泣く…」
「へ、へへへ」
 笑いながらしゃくりあげる俺。
 うれしいはずやのに涙が出てきては止まらない。
「ふふふ」
 そんな俺をやさしく包み込むように抱きしめてくる腕がある。
 久しぶりの愛しい男の腕を枕に俺は心地よい眠りに落ちていった。
  
「おやすみ」
 
 甘い声で囁かれる。

「もう放さないからな」



 

続く。  

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